小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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地域貢献 <外貨獲得>(27) ― 地域経済全体のパイを大きく ―

近藤工業 株式会社
代表取締役 佐藤 慶一 氏

〒047-0001 小樽市若竹町3-1
TEL(0134)32-5500
FAX(0134)29-0344
http://www.kondo-iic.com
E-mail:k-sato@kondo-iic.com

実 績 23億円(平成21年)
    公共:土木部門 9億円・建築部門 2億円
    民間:土木部門 1億円・建築部門 11億円
外貨率 公共:8億円(73%)
    民間:6億円(50%)
創 業 1932(昭和7)年


近藤工業株式会社 代表取締役 佐藤 慶一 氏
近藤工業株式会社 代表取締役 佐藤 慶一 氏

沿革
 新潟県佐渡郡相川町で明治35年に生まれた近藤仙太郎氏は昭和初期小樽に渡り、金垣工務店に草鞋を脱いだ。金垣工務店店主金垣幸助氏は道庁の土木技師であったが、大正13年に独立し、土木や鉄道工事に敏腕をふるっていた。仙太郎氏は昭和7年に独立し近藤組を創業、同年熱郛〜軽川間の海岸工事によって衆目を集める。
 昭和24年近藤工業株式会社に改組、同25年北海道開発法制定、同26年小樽開発建設部設置により国費負担の公共工事が増えることにより、港湾漁港工事に重点をしぼり、今日の「港湾の近藤」に至っている。

篤志
 小樽の商人史では大きな寄付をしてきた篤志が少なくない。ちなみに小樽の商人が寄付したものは、「板谷宮吉小樽市中、藤山要吉公会堂、木村圓吉商大土地、土肥太吉は市庁舎で、岡崎 謙は能舞台、広海大家大鳥居、寿原外吉寿原邸、白鳥ちよ子は水道で、野口喜一郎シャンツェなら、奥山富作写真集、秋野武夫の資料館」という俗諺があるが、他にもまだまだ数多くある。
 近藤工業は、昭和17年北海道の鉄道開通を記念する起点標を手宮駅構内(現・小樽市総合博物館)に建立・寄贈、平成11年「廣井 勇・伊藤長右エ門両先生胸像帰還実行委員会」(小樽運河公園)に多額を寄付してきた。それは鉄道土木や港湾土木で生業を維持発展してきた感謝や偉人への敬意である。いっぽう初代・二代目近藤親子は組合設立や業界を一つにする奔走を惜しみなくしてきた。小澤 榮五代目社長は小樽に深い関わりを持つ港湾技術者たちの詳細な記録『技師青木政徳』『技師内田富吉』『技師関屋忠正と請負師中山惣次郎』を自費出版として上梓されている。
 地方の一民間企業がこれほど真摯に社会貢献している事例は皆無に近い。
平成15年に入社し平成18年から六代目社長に就任した佐藤慶一氏は、まさに業界の試練の時代に身を投じた。公共事業が半分に落ち込み、新たに民間工事獲得の市場開拓を喫緊の課題とする。

試練の時代
 「コンクリートから人へという時代の流れの中で毎年どんどんハコモノ公共事業が減ってきました。そしてここにきて安心安全への警鐘が鳴らされて、この方針が建物の耐震改修に向き始めています。とくに今回のような大震災という脅威に直面して、ますますその重要性が叫ばれています。くわえて北海道は寒冷地仕様という地域的テーマが必須です。このような変化を考えると、我々建設業にはまだまだ貢献できる道があると確信しています」と佐藤社長は大枠の目的を掲げ、「手始めに実施したのは中心街の中に高齢者専用賃貸住宅をリースバックという形式で誘致しました。これは急速に進む高齢化への対応と中心市街地の活性化に繋げたいという思いから取り組んだものです。また香港資本のディベロッパーによるニセコのコンドミニアムやレストランなどの施設建設の仕事もさせていただき、国際的な取引の実績と経験を持ちました」と語る。

方針
「公共事業はなくてはならないものという認識は変わりません。これからはよりいっそう地域が地域の個性を生かした様々な公共事業を講じていく時代だと思っています。私は別な畑からこの業界に転換した立場ですので、様々な世論創設の機会に積極的に参加して、地域の個性・現状・展望を把握して、地域型公共事業の装置を研究していきたいと考えています」
 奢ることなく冷静に語る佐藤社長の姿勢の裏には、覚悟と希望に満ちている。

歴代社長
■昭和39年
 近藤 晋一 二代目社長
■平成2年
 近藤美恵子 三代目社長
■平成4年
 土栄 静雄 四代目社長
■平成12年
 小澤  榮 五代目社長
■平成17年
 佐藤 慶一 六代目社長