小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(17)

釧路と小樽


産業の歴史比較
 小樽は北海道の玄関口として、港を拠点に商業で発展してきたが、釧路もまた道東の物流基地の道を歩んできた。明治34年に釧路〜白糠間、明治38年に白糠〜帯広間に鉄道が敷設され、これに並行して釧路の港が整備されていくのが契機である。
 海産物と石炭という資源を両地域は互いに持ってはいたが、釧路は昭和30年頃から北洋漁業の基地となり、水揚げ量全国一(昭和44年〜昭和52年、昭和54年〜平成2年)となるほどの水産資源に恵まれ、また明治34年には道内初の製紙工場が設置され、このように漁業・工業の支援を戦後も受けてきた。いっぽう小樽は大戦前後を境に発展の基礎を失い斜陽化してきた。
 とはいえ昭和52年の国際的な200カイリ規制により、水揚げ量全国一はその後、鳥取県境港や静岡県焼津、千葉県銚子、青森県八戸などにその座を奪われている。

産業の現在比較
 釧路は水産業、石炭産業、製紙業を三大基幹産業とし、現在では食品加工業や機械金属関連産業に力を入れている。小樽は観光業を基幹産業として、同じく食品加工業や機械金属関連産業に力を入れ、加えて物産販売に追い風が吹いている。
 こうみてみると、小樽は釧路と比較して、基幹産業の観光も追い風の物産販売も第三次産業に位置し、商業に重点が置かれていることがわかる。
 もちろん、食品や機械金属という工業との連携が大きな課題であると同時に、商工連携による発展の模索が小樽らしいといえるのではないか。

霧の街
 釧路は5月から8月にかけての4ヶ月間のうち7〜8割も霧に覆われる。この期間は北海道にとって長い冬から解放されるという意味では、最も貴重なのだが、カラッと晴れずに霧が立ちこめる。感受性豊かな小樽の友人が釧路に転勤して2年間は滅入っていたという話をしてくれたが、霧に縁のない地域から釧路で暮らすということは、カルチャーショック以前の大問題といえるかもしれない。
 釧路は太平洋岸に面するから、小樽に比べてはるかに降雪量は少なく、平均気温は小樽8.6度で釧路5.9度と低い。

霧の免疫性
 倦怠感やもの憂いを表すアンニュイさを霧は連想させる。しかし、そもそも水産業を柱に発展してきた経緯から、そんなシミったれた感覚は少ないようだ。むしろ声が大きく、表現もわかりやすい精神風土が根付いている。
 かつて小樽もそうだったにちがいない。鰊漁と物流だから人々は欠くことのできない労働力だった。が、霧がなかった。喧嘩相手がいなかったから、まっすぐアンニュイ性を帯びた。
 釧路にとって霧は負けてはいけない免疫と考えれば、小樽に免疫とするものはあるだろうか。雪がある。釧路より遙かに多い雪だ。しかし雪解けによって一気に解放される。
 霧も雪も端から見ればロマンチックだが、地元からすると戦う対象だ。とすれば釧路は年中通して自然との戦いがあることになる。雪は金になるが霧は金になりにくい。多少のロマン性から観光誘致の動機にはなるがしれていよう。
 年中自然と戦うということは、年中緊張が解けないことだ。逃げ道がないから経済振興に余念がない。これに対して小樽はカラッと晴れる夏があり、歴史も文化もあり観光もある。まして隣に札幌という大都市があるから、いくらでも逃げ道がある。これらの逃げ道を逃げ道ではなく、活かすネタと考えればいい。

●名称変遷
1.小 樽
 1865(元治2)年 穂足内村並
 1869(明治2)年 小樽郡
 1899(明治32)年 小樽区
 1922(大正11)年 小樽市
2.釧 路
 1869(明治2)年 釧路郡
 1900(明治33)年 釧路町
 1920(大正9)年 釧路区
 1922(大正11)年 釧路市