小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(26) 小樽こだわりのライフスタイル

のんびり風雅な暮らし
小樽市総合博物館
副館長・学芸員 石川 直章 氏
〒047-0041 小樽市手宮1-3-6
TEL 0134-33-2523 FAX 0134-33-2678
museum@city.otaru.lg.jp



帰化経緯
 石川直章氏は昭和31年12月に静岡県浜松市に生まれ、若い頃から北海道の雪に憧れ、北大を受けたが失敗、結果的に京都の同志社大学文学部文化学科に入学し、昭和56年卒業。その後、同大大学院文学研究科博士課程に昭和62年まで在学し、文学修士取得・単位満了中退。この間、同志社国際高校の教員、同大の資料室調査員を兼務する。中退後、同大講師を1年つとめ、徳島県埋蔵文化財センターの研究員として勤務、平成5年に機会に恵まれ、応募で小樽市教育委員会社会教育文化財係として来樽された。

北海道と小樽への縁
 同志社は創設者・新島 襄以来、北海道にも深い関わりを持っていたことから、石川氏の雪への憧れと重なり、一方、大学2年に物心両面でお世話をいただいた石附喜三男教授の発掘調査に参加し、オホーツクや石狩の現場にも赴いた。3年時には、神恵内村の考古学調査資料整理・研究をテーマにした卒論をまとめた。さらに大学院時代に石附教授を通して小樽の峯山 巌氏の知己をえた。小樽運河を守る会会長の峯山冨美氏の夫である。
 また昭和53年学生時代に、初めて冬の吹雪の小樽を訪れ、朽ちかけた建物が所々に建っているのを見ている。歴史を学ぶ学生故に、古いとか汚いという感覚より、研究素材の宝の山に移ったという。
 昭和58年大学院時代には、忍路の土場遺跡発掘に参加した際には、毎日のように静屋通りにも通い、叫児楼で珈琲を飲み、のいぶるすとのソーセージを土産に帰った。
 また後に、大学での英語の教授であるオーティス・ケーリー氏の御尊父が小樽の公園通り教会の宣教師をされていたということも知った。

変化
 雪への憧れは小樽の古い街並みと重なっていく。石川氏の故郷浜松は人口80万人の都市だが、艦砲射撃により市街地のほとんどが焼失し、古い街並みがなくなった。もちろん小樽と比較すると経済的には、浜松は比較にならないほど活性化しているが、「街としての品格」になると小樽に軍配が上がるといったように、品格にまで昇華されていくのだ。
 そして小樽に赴任した最初の仕事が、駒木定正氏がリードして行われた歴史的建造物の調査の下調べだった。市街地のほとんどの路地を回り、調査物件をチェックした。
 また浅草寺の観音像は平安中期のもので北海道に現存する仏像では最も古く、これを文化財指定する努力もされた。

風格
 さらに品格同様、風格と表現するほど、石川氏の小樽への思いは強く優しい。
「小樽は鎌倉になるべきですね。小さくても風格があり、一目おかれる街であってほしいと思います。小樽はのんびり風雅な暮らしをというライフスタイルがピッタリきます」
 小樽にはそんな素材も条件も備わっているという。東京や札幌のように忙しくはない、一般の地方よりは都市基盤が整備されている、京都などとは違う、独特で濃密な近代史が刻まれてもいる。それは室町や江戸という遠い過去ではなく、今日の
姿の直前の歴史だ。なのに、札幌になろうとする意識も小樽には多い。品格や風格が小樽観光の潜在性だと気づかない観光客も多い。石川氏の指摘は、今まさに小樽が探し求めているもののように感じる。