小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

公務と業務
編集人 石井 伸和


やりがい
 立派な信念や哲学に基づいて務めを貫ける事例は実に少ない。人は神ではないから、務めに就く際に「やりがい」を糧にする。信念や哲学を説得して就かせても長続きしない。信念や哲学は自分の問題だから、それを自分のものにしない限り、糧にはできない。だから大事な任務なら長続きさせるための「やりがい」システムが必要だ。
単純に役所が公務で、企業が業務ともいえるが、まちづくりや協議会や組合や協会も同じく公務の範疇だ。
 業務は、お客様の喜ぶ顔が第一の「やりがい」で、利益が出たり給料が上がったり立場が昇格したりすることによって目に見える「やりがい」が見いだせる。だが公務はどうだろう。そのおかげで豊かになる人々の顔が第一として、公務を担う公的機関には組織設立の際に目的があって組織される。だから公務の「やりがい」は目的の達成度が糧になる。
 しかし現在の公的機関を担う人々は、かつて目的を実感して創設した人々ではない場合が多い。既に組織設立後10年も経てばこういうケースは当たり前になる。これが一般的な現実である。

実態
 たとえば、大方の都市には必ず存在する協会という組織を見てみると、様々な委員会が設置され、その委員会に一般会員が配置される。
 一般会員は協会の目的についても、また委員会の目的についてもよくわからない。仮に一般会員が彼の所属する会社の社長に命じられて、訳も分からずに参加したとしよう。ただ社長命令で参加しただけで、社長の意図も聞かされていなければ、彼はなんのために参加したのかさえわからない。そして委員会の執行部で既に活動プログラムの原案ができていて、その活動の現場にいきなり配属されれば悲劇しか待っていない。悲劇とは、そのその組織活動への疑念やアウエイ観に至ることをいう。
 無論、「やりがい」などは全く感じない。執行部は執行部で「今の若い者は公務そのものの意義を知らない」と愚痴る。
 つまり「公務の目的を肌で認識させる」という魂入れがないから、膨大な予算や複雑な組織があっても、組織の目的達成度はまず上がらない。これが今日、多くの公的機関の実態である。

現代
 さてこのように温度差のある人員が顔をつきあわせて、会議に登ったとする。いざ熱い目的論議をしようものなら、「そんな観念的で真面目な話は面倒だ」という発言があり、多くの会員が目でその発言に肯くのだ。これをアウエイ同盟という。現代はこういう時代である。早い話、会議など全く不要。むしろ権限で命じて進めた方がすんなり進むという脱民主化がまかり通ったりする。単なる売り言葉に買い言葉のイタチごっご。ことほどさように公務の推進には手を焼く。

通訳
 結果的に会員が同じ温度で目的意識を持ってさえくれればいい。この場合、肌身で目的を感じている執行部の誰かが、現代の一般会員にわかる通訳をすればいい。
 これがなかなか難儀だ。「理屈ではわかるが」まではなんとかいける。が、「よし!わかった!俺も本当にそう思う!」とは簡単にいかない。
 養老孟司氏はその著『バカの壁』で、人が人に本意をしらせるなんて無理と説くが、しらしめる努力については語っていない。相手の立場で説く努力が必要だし、しらされる側にもその本意を探る努力が必要で、この人事を尽くさずして待つ天命はない。

事例
 たとえば「観光」の公務について考えてみる。観光施設に勤務する者、観光施設と密接な企業に勤務する者、観光のまちづくりをしている者など様々な立場がいる。それぞれの立場の組織目的と公務の組織目的に照らし合わせることが第一の関門、次にそれでも分からなければ、観光地に住む者、観光地に住む若者という一般市民の立場と組織目的を照らし合わせることが第二関門、それでも分からなければ、酒を呑み交わすしかない。いずれにしても観光現象が自分が身を置く様々な立場にとってどうなることが望ましいかという、それぞれのオトシドコロに辿り着くまでこの努力は怠れない。
 なんでそこまで?と書いている本人も思っている。が、これを言っちゃ、上下の対立というもう一つの格闘が絡んでくる。こうなればお手上げだ。