小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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文化素材(5)

手宮線


沿革
 手宮線は幌内から石炭を輸送することを主な目的として明治13年11月28日に「幌内鉄道は汽車運転式挙行、手宮・開運町・銭函停車場開業」し、明治15年11月12日「幌内鉄道全通、14日に幌内から石炭到着」した。いわば一般営業鉄道としては東京、大阪に次ぐ日本で3番目に敷設された由緒を持つ。当所官設官営で推進され、明治21年4月1日「北有社は幌内鉄道の経営を受託」で民間に経営が委託され、翌22年12月11日「北海道炭礦鉄道は幌内鉄道を北有社から引継営業開始」で第2の民営となり、明治39年10月1日「北海道炭礦鉄道国有化」される。明治42年12月12日に「手宮〜小樽間」の路線を「手宮線」と国鉄が命名した。この場合の「小樽」は現在の「JR南小樽駅」である。
 一方、人口増加に伴う北海道の足として旅客輸送を目的に現在の函館本線もつくられる。これは当所民設民営で函樽鉄道株式会社(北海道鉄道株式会社に改称)で推進され、明治38年8月1日「北海道鉄道は高島〜小樽開業、北海道炭礦鉄道と連絡」、この時の「高島」は現在の「小樽駅」、「小樽」は「南小樽駅」である。そして明治40年7月1日「北海道鉄道国有化」となっている。そして「連絡」という表現は、手宮線と函館本線の接合をいい、現在もその痕跡が、手宮線跡を辿ると南小樽駅構内で確認することができる。<『小樽歴史年表』>

近代化遺産
 近代化遺産とは明治以後に近代産業に貢献した土木物や建築物をいうが、小樽には産業の中でも商業部門の近代化遺産が多く残っている。土木物でいえば「運河」「港湾」「鉄道」「道路」、建築物でいえばいわゆる歴史的建造物を指す。国が国費を投じて小樽の地の利に着目して近代化を推し進めてきたことがうかがえる。
 中でも「鉄道」の1つ「手宮線」は小樽にとって由緒もあり貴重な近代化遺産であることは論を待たない。
 しかし昭和60年に廃線となり、以後放置状態におかれた。そして昭和62年11月1日北海道旅客鉄道株式会社発足で国鉄が民営化された際に、清算事業団に払い下げられずJR北海道の所有となる。これは小樽市に「手宮線の土地は小樽の背骨に該当する重要な地の利を持つ」という認識があり、切り売りを防ぎ有効な再活用を期待できるので「いつか小樽市が購入するから」という約束をしていたことによる。

構図
 手宮線は手宮を起点に南小樽駅で函館本線に合流している。したがって「手宮線」はこの手宮〜南小樽間2.6kmをいうが、小樽市が購入したのは手宮〜寿司屋通り間の1.16‌kmで、寿司屋通り〜南小樽間0.93‌kmはJR北海道の所有である。小樽市は平成13年度(中央通り〜寿司屋通り510m)と平成18年度(中央通り〜手宮間1,160m・小樽市土地公社購入)にそれぞれ購入し、平成13年の購入と同時に中央通りから寿司屋通りをフリースペースとして整備した。また平成22年には旧色内駅をモチーフとした休憩施設を整備。今後、平成24年以降27年までは中央通り〜手宮の散策路を人力車や自転車が走行できるような整備を予定している。沿線整備に関しては理想的なゾーニングイメージ(28・29ページ図)を設定しているが白紙状態である。

広域観光拠点
 前号「文化素材」で「北運河」について記したが、現在の観光拠点である堺町・運河周辺が今度は北運河に広がり、手宮線に伸びると、小樽の観光拠点は「世界でも珍しい歩いて回れる広域観光ゾーン」が形成されるという展望が生まれて来る。つまり「小樽は屋根のない博物館」同様の広域アミューズメントゾーンになる。手宮線沿線が観光ゾーンとして整備されていくと、今度は手宮線が中心市街地の各商店街と隣接・近接していることから、各商店街自身や商店街までのゾーンの変容も期待できる。
 最も重要な問題は、どういう観光施設を誘致するかという観光コンテンツである。堺町・運河周辺はとにかく一気呵成に観光供給として誕生した玉石混淆であったが、北運河や手宮線のコンテンツを考える場合、小樽市はじめ観光に関する公的機関のしっかりした誘致コンセプトを議論し、小樽が国際観光地となるグローバルな発想で誘導する必要があるだろう。

手宮STのイメージ
手宮STのイメージ

旧日本郵船STのイメージ
旧日本郵船STのイメージ

竜宮STのイメージ
竜宮STのイメージ

旧色内駅STのイメージ
旧色内駅STのイメージ