小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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意匠(26)

暖簾


由来
 暖簾の由来は「きれのとばり(帳)をつるして日光を防ぎ、また目かくし用としたもの」であったが、寛永(1624〜1644)年代から普及し始め、元禄・宝永(1588〜1711)には大いに流行した。その利用者は主に商店であり、店先につるすことから看板として広告効果を持たせるために「屋号」を染め抜くように進化してきた。軒先に短くつるすのは塵除け、長くつるすのは日除けの機能を果たし、この長いのものを京坂では「長暖簾」、江戸では「日除」と称した。

俗諺
 商家では丁稚〜手代〜番頭と昇格する慣わしがあり、番頭格で円満退社して独立する際に「別家」として認め、同じ屋号もしくは印を使用することを認めた。これを「暖簾分け」といい、したがって「暖簾」は商人にとって権利・信用・得意といった重い意味が込められるようになった。たとえば「暖簾が古い」といえば歴史と信用があることを意味する。

流行り廃り
 暖簾は明治・大正期にも大いに普及するが、次第に洋風建築の時代になることから、その姿を消していく。しかし日除けや塵除けという本来の目的より信用という俗諺が見直され、逆に近代的な広告文や図案・装飾に使用されることもしばしばある。

小樽の暖簾
 小樽は明治期、近代化の先駆けとして、北前船が広域商業を実践したことが契機となり、商家が堺町や色内に軒を連ねていくが、小樽商人の基盤は卸業であることから、通りに面した人通りを誘導する必要はない。しかし明治から大正にかけて人口も増え、卸業が小売業を兼業するケースも増えることから、堺町や色内は小樽のメインストリートに進化していった。古写真の中にも暖簾が映し出されている。 <『世界大百科事典』平凡社参照>

<写真提供『小樽なつかし写真集』>