小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(33)

加賀と小樽2


金沢城石川門
金沢城石川門

兼六園
兼六園

加賀藩
 金沢藩は加賀藩ともいい石高は102万5千石。支藩の富山藩10万石と大聖寺藩7万石を合わせると120万石に近い。江戸時代最大の石高で幕府の天領約420万石の約4分の1にあたる。徳川将軍家からみればさほど縁の深い関係ではないのに、これだけ大きな領地を持ち続けたことは奇跡的である。
<税のしるべ どさんこのルーツを求めて>

体制の先兵と副将 
 17号の比較論でも取り上げたが、加賀の保守性と小樽の革新性が対比した。しかしよく考えれば、明治から昭和初期にかけての小樽の大発展は、むしろ明治政府就中開拓使の先兵となり、近代商業の先駆けを港を舞台に繰り広げた歴史だから体制の先兵ともいえる。事実、小樽商人達の手口は中央とのパイプが命綱で、膨大な国費も小樽に投下されたことからもうかがえる。
 一方、加賀は昔も今も豊かな農林水産業に加え、石川県の機械、富山県の合金などの地域産業がしっかり根を張り自立した経済構造で日本一裕福といわれている。
 ここが加賀の妙で、全国はもちろん世界の政治や経済における大変動の影響をあまり受けない自立圏を維持しているが、一方小樽は栄枯盛衰が劇的に移ろいできた。
 まさに加賀は堂々とした副将でメンテナンス型、小樽は手探りの先兵でパフォーマンス型といった構図が見えてくる。

先兵が築いた分水嶺
 さて体制の先兵であった小樽が、昭和後期に体制に逆らう革命児に変貌した。運河保存運動である。不易流行という言葉があり、変わるものと変わらぬものがあるといが、体制の先兵が革命児に変わっても、変わらないのは進取の気性と解釈できる。どうやら小樽の本性はこの進取の気性にこそ見いだせるのではないか。そしてこの進取の気性は以下の実相を紡いできた。
 現代政治史の中で、細川政権、民主党政権はいずれも地方主権をマニフェストに掲げたが実りなくやり過ごされた。この間、小樽は政治史にこそ登場はしないが、民衆史において運河保存運動を契機に、72ものまちづくり団体が生まれ「歴史を活かしたまちづくり」が大きな柱となり、それが観光という基幹産業にまでなっていることは、政治の「名」より民衆の「実」を蓄積してきたともいえる。
 まちづくりなどという志や行為は政治・経済・文化のいずれにも納まらないが、政治・経済・文化を変え得る機能を持つ。しかも「小樽運河保存運動はまちづくりの教科書」とさえ提唱されたように、まちづくり界では分水嶺の役割を担った。

受け皿
 加賀と比較し、小樽の本性を自覚すれば、進取の気性の矛先は新たな社会システムの受け皿を民衆レベルで創造していく作業が重要ではないかと思えてくる。具体的には、たとえば地方主権で舞い降りてくる公務を担うNPO法人の増殖だ。無論、舞い降りてくるなどという悠長なものではなく、奪い取るほどのエネルギーが必要なこともわかっている。だからこそ「実」としての受け皿を用意し、そのモデルとならんと思う。