小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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食文化(1) 味わいの話

ニシンの食文化
ニシンは加工万能食


身欠き鰊の製造風景
身欠き鰊の製造風景

ニシンとは?
 ニシンはニシン目ニシン科の回遊魚で、漢字で「鰊」「鯡」または「春告魚」などと書きます。大きいものでは30p以上にもなり、10歳を超えることもあります。3月中旬から産卵のため沿岸に大群で姿を現し、まさに「春を告げる魚」でした。まだ雪の残る街角にひびくニシンを売る行商の声は、北海道の春の風物詩となっていました。

祝津のにしん漁場建築
祝津のにしん漁場建築

鰊漁の歴史
 鰊漁は江戸時代以前から行われていました。1897(明治30)年には北海道でのニシンの漁獲高はピークとなります。しかし、次第に好不漁を繰り返すようになり、1954(昭和29)年を最後に後志地方の鰊漁は終わりを告げました。ニシンが来なくなった原因には、森林伐採や乱獲などが挙げられていますが、はっきりとはわかっていません。近年小樽近海でも獲れているニシンは、かつての北海道・サハリン系とは違い、石狩湾系といわれています。

蘭島海岸の鰊塚
蘭島海岸の鰊塚
肥料から食用へ
 漁獲されたニシンの多くは肥料として〆粕に加工されていたことは、部門史や探索史にあるとおりです。もちろん地元では食用としていましたが、交通機関がまだ発達していなかった時代では、ニシンに限らず鮮魚を食べられる地域は海や川の近くに限られていました。遠くの地域まで運べるように加工した代表的なものが身欠鰊で、卵は乾燥させたり塩漬けしたりして、「数の子」として高価に取り引きされました。
 鉄道の開通により、主に北海道内への生ニシン輸送が始まると、今までニシンを食べたことのない人への情報提供がなされます。明治末期の小樽新聞にはニシンの料理法が紹介され、そのなかには、燻製・酢漬・野菜煮・カレーあえ・フライ・コロッケなど現代に通用するようなものもあります。冒頭には、「ドンナ料理をして試ても鰊は美味しくないといふ人々の為に…」とあり、生ニシンは現代と違ってあまり歓迎されていなかったのかもしれません。今では、そのまま焼いて食べるほか、身欠鰊や数の子といった代表的な加工品、それを使った飯寿司・昆布巻などでたいへん親しまれている魚の一つです。

ニシン加工品
 ニシン加工品は全国に広まり、昆布などとともに北海道の代表的移出品でした。各地でさまざまな料理に使われ、身欠鰊を使った京都のにしんそばなどが有名です。ニシンの本場である北海道では、身欠鰊を自分たちの食用とするという発想はあまりありませんでした。これは、身欠鰊よりも新鮮でおいしい生ニシンがたくさん、安く手に入ったために、あえて手間を掛けた加工品をつかう必要がなかったためでしょう。
 京都のような新鮮な魚が手に入らない内陸部では、獣肉を食べる習慣がほとんどなかった江戸時代までは身欠鰊は貴重な動物性タンパク源でした。京都では、新鮮でない魚をいかにおいしく食べるかということに長年苦心した結果、独自の料理文化が生まれました。逆にいえば、新鮮でよい食材が簡単に手に入るところでは、手の込んだ料理文化は発展しなかったということでもあります。素材のもつおいしさで充分で、下手に調理などする必要がないからです。海外では素材が何であるかわからないほど調理してしまうフランス料理などもそうでしょう。戦後は冷蔵技術や航空機の利用などで生ニシンが北海道以外の大都市でも食べられるようになり、本州の人も生ニシンを味わえるようになりました。
 ニシンは昭和戦前にすでに姿を消しつつありましたが、戦時中や敗戦直後の食糧難の時代に一時的ではありますがたくさん獲れました。小樽ばかりか札幌など近郊の人たちも、ニシンのおかげで食糧難を乗り切れたという話を聞いたことがあります。ニシンは戦前の北海道を支えた魚でもあると同時に、食糧難を救ってくれた魚でもあるのです。
<後志学 後志鰊街道報告書>
<漁業生物図鑑 新 北のさかなたち>