小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽巷文化考


水天宮界隈
 花園橋を渡ってまっすぐ水天宮山に向かうと、なんとも不思議な光景があります。大きな石灯籠を過ぎると、やがて鳥居があり、それをくぐった左側に本妙寺、さらにその2軒隣には聖公会。鳥居は俗界と神域を区別する門ではないのか。
 元日には神社に初詣に行き、結婚式などでは大安や仏滅を気にして、葬儀や法事を寺院で行い、クリスマスにはケーキを買って、大晦日には年越しそばを食べるという、宗教的には実にアバウトなのが平均的な姿の日本人。こうした伝統は、日本人が長らく、「生けとし生けるものにはすべて神様が宿る」という多神教を信じていたこと、仏教が伝来しても、それが多神教であったがゆえに、八百万の神様に同化してしまうような考え(神仏習合)があったからでしょう。一神教では一人の神様は絶対で、自然は人間が征服する対象だったのに対して、日本人は自然に抗うことなく、神として崇拝し、畏れ、それゆえに大切にしてきました(ただし、明治維新まで)。
 かつては西洋でも原始宗教からはじまった多神教を信仰していました。やがて一神教であるキリスト教にほぼ統一されますが、他宗教や宗派間の争いで多くの血が流され、今でも、外国では宗教戦争が絶えません。「汝の隣人を愛せよ」と説く宗教がどうして戦争をするのか。逆説的にいえば、「隣人を愛せ」ないからこそ、こう説かざるを得なかったともいえます。その同じ宗教内でさえ、ささいな(当事者にとってはそうではないのでしょうが)教義の違いなどで分かれ、それぞれが仲違いしている(これは日本でも同じ)という有様なので、他の宗教が許容できないのも無理からぬことかもしれません。日本人の多くは一神教の宗教の不寛容なことに驚いているのではないでしょうか。逆に一神教を信仰する外国人から見れば、日本人は何とだらしがなく、節操がないのかと思われているのかもしれません。
 今、あらためて見ると、水天宮に見られるような、おおらかな平和な光景がいつまでも続いてくれるように思わずにはいられません。そして、できることなら、いつの日か世界中にも拡がりますように。