小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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広域観光(3) 他地域との連携

後志との連携
後志群族秋の収穫祭DOSA(ドサ)実行委員会
<1989〜1993年>



DOSAイベント風景
DOSAイベント風景

「小樽市街づくり市民懇話会」
 1989(平成元)年春に行政とまちづくり運動との有機的な関係を模索するために、「小樽市街づくり市民懇話会」(街懇)諮問委員会が発足し、32のまちづくり団体が集い、ABC3つのグループに分かれて、議論が交わされました。
 その中のCグループは後志管内のまちづくり交流をして、広域ネットワークをつくろうと考え、当時の支庁長武田祐男氏から全面的な協力をいただくことにこぎ着けました。

後志いきいき会議
 1985(昭和60)年に後志支庁の音頭で、「後志いきいき会議」が開催され、「交流からの新たな地域づくり」をテーマに、管内でまちづくりをしているメンバーが集って議論が交わされていました。しかしまちづくりという新しさは地方へ行けば行くほど、そう簡単には受け入れられない体質があり、その浸透方法がネックになっていました。

小樽への疑念
 小樽市街づくり市民懇話会Cグループ38人中8人が手分けして、後志いきいき会議のメンバーを頼りに、「なにかを後志一つになってやろう」と行脚に出かけました。
 ところが、どの地域へ行っても、「小樽が今さら何だ?」という声が強いことに驚かされます。それらの疑念を一言でいうと、「小樽は後志管内の一員であり一番の兄貴分でありながら、いつも札幌に目を向け、俺たち他の後志地域をないがしろにしてきたじゃないか」というものでした。
 もちろん、そんなことに心当たりすらない若いメンバーには寝耳に水で、往生します。

Cグループの覚悟
 思わぬ障壁にぶつかったCグループは以下の協議事項を覚悟として持ちます。まず一番仕事量の多い事務局を小樽が受け持つこと、次に様々な調整や協議事項はすべて小樽以外の地域で行うこと、そして小樽が率先して企画・渉外・段取りを担うことでした。
 そしてその覚悟をもって後志行脚が再開され、蘭越町の金谷一雄氏・ニセコ町の工藤達人氏・黒松内町の青沼稔氏、古平町の杉本隆氏・積丹町の成田静宏氏らの協力をとりつけ、「小樽がそこまで覚悟を決めるなら」と参加地域も増えていくようになります。
 小樽「街懇」の提案と誠意が、「後志いきいき会議」の問題意識に合し、後志が一つになることによって、一歩でも前に進むことができるという関係がここに結実されました。

企画内容
 企画名は「後志群族秋の収穫祭DOSA」としました。DOSAとは「ドサクサ」「ドサンコ」「ドッサリ」「ドサマワリ」というコンセプトから名づけました。
 当日朝、スタッフ約40名が山賊と海賊という設定で分類され、それぞれの印半纏を纏い、DOSA印のバンダナを被り、ゴム長靴を履いてPRに出かけます。
 北海道庁本館での挨拶口上ではそんな異様な集団に知事はじめ職員たちが目を見張りました。次に札幌地下街をビラ配布をしながら陣を進め、大通公園では演舞と共に声高々と「後志群族からの大都市へ挑戦状」と題して口上を読み上げ、踵を返して、イベント会場の札幌駅エスコート広場(現・ステラプレイス)までの帰路で再びビラ配布。ホラ貝の演出とともにナレーションが入り、一行は会場に入場、すかさずステージに全員が上り、改めて巻紙を広げた口上を各地域の代表が読み連ねるごとに、一升瓶を回しのみしてセレモニーが終了します。
 会場には後志各地の産物ブース22店舗が軒を並べ2日間で830万円を売り、ステージでは各地域の出し物が披露され、凝縮された短期間で準備した本番の10月21・22日が暮れていきました。

成果
 DOSAは以後5年間継続され、自らの地域の誇りを再認識する成果を残しました。後志地域は北海道14支庁の中でも観光ではトップランナーではありますが、DOSAはこれにさらに磨きをかける役割を果たし、広域まちづくりと広域観光の突破口を開いたといえるでしょう。

ポスター
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