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地域資源活用ビジネス(2) 小樽独自のビジネスモデル

道産米の活用
カネイ田中酒造株式会社
代表取締役 田中 一良 氏


田中酒造株式会社 代表取締役 田中 一良 氏
田中酒造株式会社 代表取締役 田中 一良 氏

北海道酒造史から
 明治になって開拓された北海道における酒造史は新しく、小樽のような北前船寄港地には堺・灘・伏見・越後の酒が運ばれていました。後志管内では明治10年代から醸造が始まり、小樽でも、1894(明治27)年には27軒もの酒造業者が存在し、1905(明治38)年には醸造石数23,209石、同43年には15,270石と、共に全道一になっています。このように小樽は北海道での主要な醸造地としての地歩を固めていきました。
<後志飲食物語より>

小樽の盛衰
 北海道において小樽が一番の醸造地になった背景には、生活物資の移出入の地であったことや良質な水があったことがあげられますが、多くの関係者の努力があったからにほかなりません。
 北海道の酒造メーカーは常に本州銘柄との競争を繰り返してきました。この競争にくわえ戦後にはウイスキーやビール、ワインの台頭により日本酒ばなれが進み、小樽でも多くの酒造メーカーが消えていきました。

田中酒造
 田中酒造は田中市太郎氏によって1899(明治32)年に創業され、小樽が全道一の醸造地になるのを支えました。
 現在の田中酒造の当主は四代目 田中一良氏で、創業以来百十年となる小樽の老舗です。

北海道米の酒
 田中一良氏が社長に就任したのは1988(昭和63)年ですが、田中酒造も既に全国各地の醸造所と同様に厳しい経営環境となっていました。道内の醸造所は本州に負けない酒づくりが最大の目標だったので、水以外の原料調達はすべて本州に向いていました。
 田中酒造における差別化は「弱小企業の苦肉の策でした」と本人が語るように、北海道米を使用するということでした。同業者が「無理だ」「昔やったけど駄目だった」という時期にあたります。
 田中氏は「常識というのは壁のようなものだが、実はよく見ると隙間だらけ」といいます。酒造組合でも道産米使用はこれまで主流ではなく、組合方針となったのは昨年平成20年度からです。

田中酒造の地酒  左から「美苫」「丹水」「蔵人衆」
田中酒造の地酒 左から「美苫」「丹水」「蔵人衆」
田中酒造の実績
 田中酒造では1998(平成10)年から、すべて道産米使用の方針を掲げ、本物の北海道の地酒づくりの実績を蓄積してきました。苫小牧の地酒「美苫」は厚真の米と苫小牧の水、積丹の地酒「丹水」は後志の米と積丹の水、ニセコの地酒「蔵人衆」はニセコの米と水、そして2007(平成19)年の全国新酒鑑評会(酒造総合研究所主催)では、ニセコ産米と小樽の水を使用して仕込んだ「大吟醸寶川」が金賞を受賞しています。

金賞受賞の「大吟醸寶川」
金賞受賞の「大吟醸寶川」
差別化戦略の今後
 この差別化戦略は功を奏し、日本酒ばなれにストップをかけるばかりか、増加を示す年も出てきています。
 こうして新たに生まれた地酒は、その地域での消費量が最も多いのが特徴です。それは各地域で浸透してきた郷土愛と地産地消を、酒の面で確実に実践したといえるでしょう。

田中酒造の企業力
 田中酒造の企業力は、酒造、醸造、発酵食品の製造技術です。酒造過程で蓄積された技術を別な商品に活かし、「みりん」や「魚醤油」「食酢」づくりが進められています。なかでも魚醤油は「シャコ」や「ニシン」などの小樽産の原料を使用して開発されています。

製品戦略から商品戦略へ
 「こうして地域の素材に特化してつくられた製品を地域の人々が消費してくれるほどうれしいことはない」と田中氏はいいます。酒に限らず北海道では、何でも本州を見習ってきたという過去があるため、地域のものを振り返る傾向が小さいのが現状です。
 「地酒ブーム」「地産地消」「まちづくり」など地域志向の現象が巻き起こっている今日、田中氏は「製品戦略から商品戦略へ」と切り替えることによって、まだまだ地域には、潜在需要があると旺盛な意欲を示しています。