小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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収穫(2) 後志でなにが収穫されているの

トマト
馬場農園 馬場 亮 氏


四代目園主 馬場 亮 氏
四代目園主 馬場 亮 氏

沿革
 初代 馬場善助氏は青森県三戸(馬場村)で果樹栽培を営んでいましたが、1905(明治38)年に渡道し、倶知安に入植します。しかし果樹には適さない気候と判断し、余市にいた同郷の知人を頼って豊丘地区に入植、1932(昭和7)年から余市の大地主高山農園の小作をつとめ、農地解放(昭和22年)以前に土地を購入し、現在の馬場農園の足がかりを築きました。二代目 善治氏は千両梨やリンゴ「緋の衣」「祝」「紅玉」やブドウ「ナイアガラ」「キャンベル」「デラウエア」を栽培し、1950(昭和25)年、三代目 勇氏は果樹栽培のかたわら、肥料不足に悩み、酪農を試みると同時に、野菜の知識が豊富な妻 順代氏がトマトやナスの栽培に着手し、今日の馬場農園トマトの礎を築きました。

馬場農園のミニトマト
馬場農園のミニトマト
馬場農園のトマトへ
 現園主 亮氏は1980(昭和55)年に継承し、トマトの「旭光」づくりに専念しますが、平成に入り京都で誕生し、甘み(糖度)のある「桃太郎」が全国の市場で「旭光」にとってかわります。こうした時期、亮氏は市場で野菜を買う主婦たちの会話を耳にします。「トマトもアタリハズレがあるからねえ」。この一言で、亮氏は「アタリだけのトマトづくりをしよう」と決意します。そして自らも参画している現・JA余市に提案しますが、むしろ自主栽培・自主販売をすることを選び、トマト事業の自立を目指しました。その期間、流通市場ではハズレの場合のリスクを嫌い、日持ちのするものに逆戻りする傾向すらあったといいます。

生産現場の苦労
 馬場農園では「旭光」を10年間つくり続けてきたことが連作障害となり、萎凋病という病原菌に感染してしまいます。そこで山の土と完熟堆肥を混ぜて土壌改良をしました。
 「桃太郎」から「ハウス桃太郎」、そして「桃太郎8」へと抵抗力ある品種の栽培を、少量の天然水と手作り有機肥料、さらに減農薬で試みること3年、その結果、とうとうアタリだけの「馬場農園桃太郎8」が誕生します。

販売先開拓の苦労
 トマトは生産段階で秀品・優品・ハネに分類されます。秀品・優品の90%は、札幌の和田商会を通して山二辻商店がイトーヨーカ堂や生協などに卸すルートが確立しましたが、ハネ品もJA余市などに委託してジュースに加工する方法が試行錯誤の末に完成します。2008(平成20)年には瓶詰め7,000本を出荷し、その60%は余市物産の「ひとみ」名で流通しています。材料は馬場農園のトマト100%なので、トレーサビリティ(生産履歴)も明確にラベルに掲示されています。

現在の規模
 現在の馬場農園の規模は、トマト7棟(ハウス)、ミニトマト10棟、中玉トマト10棟、調理用トマト1棟、ピーマン2棟となっています。1棟は360uです。

定評へ
 現在、馬場農園のアタリだけのトマトは全国的に広まりはじめています。北海道へ旅行に来て、たまたま馬場農園のトマトを食べたりジュースを飲んだりした人の口コミで、関東や関西に直接出荷する場合も増えています。余市では既に定評があり、「馬場農園のアタリだけトマト」を目当てに買う消費者が大勢います。
 また、「トマトは食べられないが、ジュースなら」「ジュースは飲めないが、トマト料理なら」といっていた人が、「ジュースも料理も」と変わってきたという話もよく聞かれるようになってきたそうです。