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食文化(3) 味わいの話

ジャガイモの食文化
代用食からの自立


『開墾及耕作の栞』馬鈴薯の栽培法のページ
『開墾及耕作の栞』馬鈴薯の栽培法のページ

『開墾及耕作の栞』の表紙
『開墾及耕作の栞』の表紙

ジャガイモの起源
 ジャガイモはトウモロコシと同じく新大陸起源の野菜で、原産地は南アンデス山地の高地といわれています。コロンブスの新大陸発見後にヨーロッパにもたらされ、とくにドイツ料理には欠かせないものとなりました。
 一方、日本には江戸時代初期に入ってきました。ジャガイモの語源は、当時のオランダ領ジャカルタ(今のインドネシアの首都)からという説が最も知られています。「馬鈴薯」などの別名もあり、最も親しまれている野菜のひとつです。
 品種は、生食用としては昔から有名な「男爵薯」「メークイン」をはじめ、最近では「キタアカリ」などの北海道で生まれた新品種もあり、デンプン用やポテトチップス用の品種もあります。

『殖民富源 馬鈴薯誌』
『殖民富源 馬鈴薯誌』
ジャガイモと北海道
 ジャガイモは北海道にも18世紀に入り、松前藩支配下の道南地方では凶作に備え栽培が広まりましたが、全道的に本格的に栽培が始まるのは明治時代になってからでした。
 北海道の開拓では、寒冷地に適し、荒れ地でもよく育つジャガイモは、入植した開拓民の取りあえずの栽培作物として重宝されました。
 1893(明治26)年に発行された『殖民富源 馬鈴薯誌』という本は、ジャガイモの栽培普及をはかり出版され、食べ方や栽培方法・利用方法が詳しく書かれています。
 北海道庁が移住者のために発行した『開墾及耕作の栞 昭和十二年五月版』には、まず「移住当初より米のみを常食するが如き状態では到底成功しない」(ルビもそのまま)とし、「農家の常食」として、自家生産のものを食べるのがよく、黍(稲黍)・玉蜀黍・蕎麦・馬鈴薯・南瓜・燕麦があげられています。なかでもジャガイモは、薯あん・馬鈴薯米・薯団子・薯うどん・薯蕎麦・薯煎餅・薯羊羹・薯饅頭・薯味噌・薯醤油と10種類も載っています。薯焼酎などの酒類が載っていないのは、開墾に際しての心得として、勤倹貯蓄や禁酒の勧めをしているからでしょうか。

ジャガイモの品種
 現在最も一般的な「男爵薯」と「メークイン」はともに北海道に縁のあるジャガイモです。
 男爵は1908(明治41)年に函館船渠(現・函館どっく)の社長だった川田龍吉男爵がイギリスから輸入した「アイリッシュ・カブラー(コブラー)」という品種です。川田男爵が七飯町の農園で栽培を始めたことから、次第に周辺に拡がり、1928(昭和3)年には北海道の優良品種に選定され、「男爵薯」と命名されました。1944(昭和19)年には食糧統制により、食用品種は男爵薯に統一されたことからも、この品種が日本で主力となり、親しまれていたことがわかります。
 メークインは1917(大正6)年に輸入され、北海道にも同じころに入ってきています。1928(昭和3)年には北海道優良品種に選定され、戦後には男爵薯に次ぐ生産量を誇る品種になりました。
 発祥が後志に関係の深いジャガイモに「紅丸」があります。紅丸は1929(昭和4)年に北海道で開発され、1932(昭和7)年には留寿都村で試験栽培が始まりました。紅丸はデンプン用の主力品種となりましたが、現在では「コナフブキ」に取って代わられています。

ジャガイモの文化
 米の代用としてジャガイモを食べることは、米を主食とする日本人には強い抵抗感がありました。「日本人なら米を食え」といわれるほど、米に対する信仰は強く、北海道でもジャガイモの有用性を繰り返し説いても、無理して米をつくって失敗する例が跡を絶たず、農家でも何とかして米をつくりたい、食べたいという意識が強かったことがうかがえます。イモ混じりのごはんは「代用食」などといわれていたのはご存じでしょう。
 現在では料理やスナック菓子の原料として欠かせないものとなり、代用食のイメージは遠くなりました。
<記念碑に見る北海道農業の軌跡>
<ジャガイモの絵本>