小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(4) 小樽こだわりのライフスタイル

一人一人のとっておきの小樽へ
FMおたる
パーソナリティ 田口 智子 氏


FMおたる パーソナリティ 田口 智子 氏
FMおたる パーソナリティ 田口 智子 氏

豊かな自然に囲まれた小樽
 昭和49年札幌生まれの田口智子氏は、幼い頃から小樽市星野町山麓の親戚が住む家によく遊びに行きました。山に囲まれながら海が一望できるロケーションの中で、夏は山歩き、冬は春香や朝里でスキーなど、自然の中で遊ぶことが大好きでした。そして海と山に囲まれた小樽に、将来住もうと幼年時から決断を下していたようです。小樽大好き少女の小樽物語はまるで純粋培養のように育まれていきます。

修業
 揺籃の夢は確実に田口氏の心の中で醸造され、平成に入り小樽がロシアへの中古車輸出港となり、多くのロシア人が訪れるようになった頃、1991(平成2)年にソビエト連邦最後の大統領となったゴルバチョフの改革路線が長年にわたる東西冷戦の壁を打ち壊し世界史を塗り替えた時代です。若き田口氏の胸の中で、ゴルバチョフのダイナミズムへの共感や、ロシア人が訪れる小樽とがリアルに接点を持ち、東京の大学時代はロシア語の習得に情熱を傾けることになります。

帰化契機
 大学3年の時に小樽を訪れた際、ロシア人用のインフォメーションスポットを港で発見します。このとき既に田口氏の計画において、小樽でロシア関連の仕事を探すという具体性を帯びていたのです。そしてもう一つの世を見る羅針盤として、東京に住む中で「これからは東京一極集中の時代ではない」というアンテナが芽生えていました。
 インフォメーションで働く女性に訪ねると、「市から派遣されて来ました」という答えがかえり、「そうか、小樽市の職員になればいい」と即決するのです。この短絡的即決は当てが外れるのですが、急がば回れで後の彼女を大きく成長させることになります。

小樽市職員時代
 平成8年に無事小樽市職員に採用され、5年間資産税課に配属されます。ここでは公用車で業務上小樽市内をくまなく走り回りました。
 次の配属は4年間の観光課でした。これこそが小樽の良さを具体的に知ることのできる業務であり、加えてフィルムコミッション対応で小樽のロケーションを把握する恩恵を受けるのです。しかも様々な映画監督の選ぶロケーションはこれまで彼女が把握した小樽の名所旧跡ではなく、路地裏や坂道や寂れた界隈でした。この視点での指摘は小樽を客観的に見る重要な素材になっていきます。
 さらに次の2年間が港湾部配属で、ここでは寄港が多くなりはじめた大型クルーズ船への誘致や対応でした。札幌や東京の荷主や船会社に何度も足を運び小樽寄港の営業に走り回るのです。この配属こそ、彼女の夢を叶えるロシアと小樽の接点でしたが、行政上の業務領域への限界を感じると同時に、彼女の小樽への深い興味は既に広範に増殖されていました。

転職
 小樽市役所勤務の初期には、住まいから小樽公園の白樺並木を経て通う幸せを感じ、観光課時代は路地裏への視点の面白さに酔い、港湾部時代は旭橋や運河を歩いて通う幸せを感じ、スーパーでの買い物ではハッカクやシャコが普通に売られている光景に驚きと微笑みを覚えてきた彼女の興味は、既に小樽の具体的な何かではなく、また単なる小樽ファンの領域を超え、まるで我が子を育てるような母性にも似た、小樽の生き様そのものへ変化していきます。平成19年6月に彼女はFMおたるに転職します。

大人の小樽へ
 彼女の心の中で、小樽という子は成長していきます。
「運河を見るのも、堺町を歩くのも、お寿司を食べるのも素晴らしいけど、大人の見方・歩き方・食べ方で小樽を味わってほしい、そうしたらもっともっと深くて味わいのある小樽が見えて来ます。それは多分、文化という領域かもしれませんね。そしてそれを広げられるのは小樽に住む私たち一人一人ではないでしょうか。私もまだ未熟ですが、一人一人がとっておきの小樽を持てたら、それらの集合が新しい小樽になると思います」