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地域経済(4) 経済を読む

発展を続けるアジア経済
小樽商科大学 ビジネス創造センター 
センター長・教授 海老名 誠



ビジネスの視点
 経済が発展するために「人材・資本・技術」の三要素が必要である事は前に書きました。
 アジアの多くの国では資本が絶対的に不足しています。それで、外国から投資を受け入れるために、各国では競うように「外資導入政策」という政策を定め、隣国よりも自国に外国の資本を導入しようとしました。アジア各国の経済が発展出来たのは外国からの投資や外国企業の進出のお陰である、と言って差し支えありません。今、大きな話題になっている中国も、輸出や輸入など貿易の約半分は外資系企業が係わっているといわれています。
 この様に、外国からの投資や企業進出が自国の経済発展を加速するのですが、一方で大変大きな問題の危険性も秘めています。アジアの経済発展を考える場合には「1997年問題」と「アジア通貨危機」をしっかり勉強する必要があります。

1997年問題
 1997年と言う年は、日本でもアジアでも大きな出来事が起きた年でした。日本では北海道拓殖銀行や山一證券が破綻し、その後遺症は13年を経た今でも北海道経済に暗い影を落とし続けています。
 一方アジアでは同年7月1日に香港が中国に返還されました。香港はそれまで99年間に亘り英国の自治領として自由貿易を謳歌し、アジアで最も繁栄した地域でした。その香港が中国に返還されると中国の社会主義体制に呑み込まれるとの不安が、香港市民のみならず香港に進出していた多くの欧米企業に広まりました。このため、繁栄を謳歌した香港はもう終わるとのうわさが流れ、市民はカナダなどに移住を始め、外国の企業は香港から撤退の動きが出ました。
 返還後の新香港初代行政長官はC.H.Tungという方で、海運不況で一旦は破綻しそうになった船会社のオーナーでした。私も銀行勤務時代に親しくお付き合いを願った方ですが、この船会社は中国が救済したとのうわさがあり、新香港は中国政府の言いなりになるとのうわさが持ちきりでした。しかし中国は香港に「一国二体制」と言う制度を導入し、返還後も50年間は香港の自由貿易体制を保障すると約束しましたので、香港は今も繁栄を続けているのです。

アジア通貨危機の勃発
 ところが香港が中国に返還された翌日に、アジア通貨危機勃発のきっかけとなったタイの為替制度切り替えが突然発表になったのです。
 1997年7月2日に、タイ政府は日本の銀行を含むバンコックの金融機関トップを集め、即日タイの通貨(バーツ)の米ドルとの交換比率を、それまでの実質固定制度から変動相場制に移行すると発表したのです。これは、タイの通貨は何時でも米国のドルに同じ比率で替えられると言う制度を、毎日の為替市場で決まる比率に替えると言う変更です。実は、当時のタイバーツの国内金利は米国ドルの倍もあったのです。
 賢明なる読者はお分かりの様に、もし何時でも同じ比率で米ドルに戻せるタイバーツの金利が米ドル金利の倍であれば、皆が競って米ドルをタイバーツに替えてタイで預金をするでしょう。私だって、お金が余っていれば、タイに預金をしたでしょう。しかし、世の中にそんな上手い話が何時までも続くことはありません。タイ国内ではインフレが続き、企業では従業員の給料が毎年上がり、物の値段もぐんぐん上がりました。
 それでも、タイから物を輸出するときの為替が実力どおり動いてくれれば問題は起きないのですが、固定相場制のタイではそれもままならず、段々と輸出競争力が落ち貿易も上手くいかなくなりました。止むを得ず、タイ政府は突然為替制度の変更を発表しました。そこで、もうタイバーツで預金をするうま味がなくなり、タイから外国の預金や投資資金が一斉に逃げ出しました。これが、アジア通貨危機につながっていくのです。
(以下次号)