小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalw小樽巷文化考 

小樽巷文化考 

「月刊 小樽學」 1年を振り返って―歴史を探る難しさ―



 「月刊 小樽學」も12号を迎え、発刊以来1年が経ちました。これも読者の皆様や協力・協賛してくださる企業の方々の御蔭です。関係者一同、深く感謝しています。
 創刊当時は堅苦しい内容が多く、おもしろく読んでいただく努力が不足していたことは否めません。誌面のレイアウトなどにも、不慣れや経験不足から、見づらい・読みづらい点があったと思います。
 歴史部門では、出典をいちいち書いているのは、わずらわしいと感じる方もいるでしょうが、歴史について書くときは、自分自身が体験したり、聞き取りしたりした場合以外、参照・引用した資料を明示するのは常識といえます。「月刊 小樽學」のようなちっぽけな雑誌でも当然で、それらを明示しないのは、俺様の書くことは無条件で信用しろといっているに等しい傲慢な態度だといわれてもしかたないと思います。
 引用文献が信用に足るものかどうか吟味して、不安であれば確認する必要がありますが、出典が書かれていないと確かめようがありません。
 『小樽市史』を例に挙げると、昨年8月号に取り上げた小樽での初期の搾乳業者、松田直次郎について、第2巻では「一巻に直次郎即ち一芥とあるは誤り」とありますが、その出典が書かれていないので確かめようがなく、自信たっぷりに断言されても困ってしまいます。その他にも2巻には誤認が多く、全体的にみて、2巻よりは1巻の方が信用できる(これは、きちんとした監修者がいるから)ので、ますますその記述を疑ってしまいます。
 一般に、市町村史は「正史」ともいうべきもので、その地域の歴史を知るのは欠かせません。一般の書物とは格段に影響が大きい「教科書」は記述に細心の注意を払うべきで、万一、誤記や誤認があれば、後の巻で訂正や補遺をするべきでしょうが、残念ながら『小樽市史』にはそうした努力をした形跡がありません。
 毎号載せている年表についても、既存の資料(新聞や原典資料など)を要約しただけに過ぎません。時間とある程度の根気、それに中学生程度の要約能力さえあれば誰にでもできることです(使った資料はすべて図書館などの公開資料なので資金はほとんど不要)。そもそも小樽の歴史に関心のない人や小樽のことを何でも知っている人であれば、おもしろいとは思わないでしょうし、必要も感じないでしょう。資料を提示しているだけということでは辞書や百科事典もおもしろくないでしょう。
 ここに1冊の資料集があります。この本はまさに資料(80年以上前の資料)を中心とした本の典型ですが、誠実な編集態度で、編集はすべてほかに仕事を持った人のボランティアだそうです。しかし、誤りがあれば直ちに訂正し、「採算度外視(利益無視)だから(間違いがあっても我慢しろ)」などという姑息な言い訳をしないのは、編集者としての矜持が感じられます。
 しばしば、こういうことを耳にしますが、本当に事業として採算が取れない(赤字)なら、よほど潤沢な資金に恵まれているのだと思わざるを得ません。そうでなければ、それに専従している人は生活できないでしょうから。
 おもしろくて役に立つ雑誌が理想なことはいうまでもありません。しかし、たとえおもしろくなくても何かしら役に立つ雑誌を目指したい。必ずしも長続きなどしなくていい(そうでもないか)。惰性で発行するようなことはしたくないと思います。
 売れていることや長続きしているものが、必ずしも優れたものとは限らないのが、悲しく、また、おもしろいところです。
 長い間続けていると慢心して、あたかも自分が一流になったかのような錯覚に陥ったり、続けていることを自慢らしく吹聴したりすることがありますが、続けること自体に意味はないし、なにより、評価は他者がするもので、自分がするものではありません。もっとも、このようなことは、わずか発刊1年に過ぎない雑誌のいうことではありませんが。
 自分にはとても難しいことですが、たとえ興味のないことでも頭から否定しないようにしたいと思います。自分の価値観(好き嫌い)を普遍的で正しいものだと思わないようにしたい。この歳ではもう無理な気もしますが。
 何をおもしろいと思うかは人それぞれです。世の中には、相対性理論や経済学原論のような本を楽しみで読む人もいるのですから。これこそ、「月刊 小樽學」のような雑誌でも、おもしろく読んでくれる人がいるかもしれないというささやかな希望を抱かせるものでもあります。
 これからも「月刊 小樽學」をよろしくお願い申し上げます。