小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalwトピックス

トピックス

小林多喜二の短編「スキー」新発見


 4月21日市立小樽文学館で小林多喜二の短編小説「スキー」が新たに確認されたことが報道されました。これは「当選短編小説」として1921(大正10)年10月30日国民新聞に掲載されたものです。
 小樽文学館報33号(小樽文学舎ホームページで閲覧可能)には小説全文もあり、発見の経緯から解説まで載っています。そこで亀井志乃氏も書かれているように、国民新聞という投稿先が意外な気がします。あえてつけ加えることもありませんが、ちょっとだけお節介を…
 国民新聞は蘇峰 徳富猪一郎が1890(明治23)年創刊。蘇峰は『不如帰』で有名な小説家 蘆花 徳冨健次郎の実兄です。
 国民新聞は最初平民主義を唱えていましたが、次第に政府寄りになっていきました。日露戦争講和時には講和に賛成したため、激昂した民衆によって焼き討ちされ、大正デモクラシーでも同じ目にあいました。「御用新聞」というレッテルを貼られ、憎まれていたからです。
 同じジャーナリストの宮武外骨は、蘇峰嫌いを公言し、1929(昭和4)年発行の自身の編集・発行した雑誌「面白半分」創刊号の「蘇峰徳富猪一郎 鶏口を去ツて牛後」という記事で、蘇峰の「金持の金儲けの為に書き、金持の嫌ひな者を攻撃する為に書くと云ふ所まで下落する事は死ぬより辛い事である」という発言を取り上げ、富豪から資金援助をして貰い、政府の提灯持ちをすることは、「金持の物書きに身を落したのではないと(蘇峰は)思ツて居るのであらうか、「死ぬよりツライ事」であるならば、日露戦争前に首でも縊ツてクタバレばよかツたのである」とまでいっています。
 外骨は失われていく明治時代の新聞や書籍を収集し、それは東京大学の明治新聞雑誌文庫となって結実していますが、そこには蘇峰の著作は1冊もなく、いかにも「極端の人」外骨の面目躍如といったところです。ただ、外骨は蘇峰に恨みがあるのではなく、公人としての蘇峰の発言・変節が許せないだけでした。
 国民新聞は多喜二の思想とは正反対ともいえる新聞でした。その国民新聞に多喜二があえて寄稿したのはなぜか、亀井氏ならずとも不思議に感じます。それよりも、自称を含めると多喜二研究者はゴマンといるだろうに、誰も知らない小説がまだあったことがもっと不思議。未発表作品でもないのに。