小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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alwHOMEalw読んでみるalw帰化人(8) 小樽こだわりのライフスタイル

帰化人(8) 小樽こだわりのライフスタイル

人の絆
有限会社 ダイヤワックス社
代表取締役 新倉 敬子 氏
〒047-0001 小樽市若竹町14-10
TEL(0134)33-5439
FAX(0134)33-3730


有限会社 ダイヤワックス社 代表取締役 新倉 敬子 氏
有限会社 ダイヤワックス社 代表取締役 新倉 敬子 氏

新倉 博 氏との出会い
 新倉 博氏は結婚の2年前の昭和45年には既に東京の会社を退社して父親の経営するダイヤワックス社に勤務します。
 ダイヤワックス社は大正5年に新倉國造氏が小樽に新華園という名で石鹸を製造販売したことから始まりました。戦前には「シラス石鹸」というヒット商品を持ち、業界の北海道理事長にもなっていましたが、戦後はスキーのワックスを開発しダイヤワックス社と改称し、子息の住太郎氏が代表に就任します。住太郎氏は長橋中学校第一期生で伊藤 整からも教鞭を受けています。
 昭和45年に博氏がダイヤワックス社に入社し、昭和47年に大嶋敬子氏と結婚します。昭和25年茨城県結城市に生まれた大嶋敬子氏は、地元の高校を卒業後、東京の商事会社に就職し、そこで新倉 博氏と知り合いました。

小樽の印象
 敬子氏にとっては初めての北海道でした。茨城育ちであったことから、北海道の大自然には驚くことばかりで、雪の少ない地方だったので、雪には逆に喜びをもって感動します。まして仕事も雪に深く関係することもあり、新しい人生の幕開けを天が祝ってくれているように感じました。

社長となる
 ダイヤワックス社は生粋の地場産業として伸びていき、敬子氏は販売をはじめワックスを学び、ワックスがけの指導もこなすようになっていきます。
 しかし平成元年には父の住太郎氏が死去し、5年後の平成5年には博氏も病没してしまいます。3人の子供と会社が一気に敬子氏に託されるのです。
 歩くスキーの市場は札幌が主だったので、昭和46年から手がけていたカーワックス市場への進出も重なり、必死で仕事と子育てに没頭します。

小樽の人々と
 以後15年の歳月が過ぎ、敬子氏が小樽という地域に持つ印象は大きく変化してきました。それには3つの原因がありました。
 娘さんが高校時代から参加していたポートフェスティバルで、仲間たちが運河や歴史的建造物への愛着で結ばれていたこと、北海道中小企業家同友会会員として、父 住太郎氏をよく知る会員に大変お世話になったこと、そして博氏の青年会議所時代の友人たちのやさしさにも深く感動するのです。
「小樽を語るとき誰しも自然や歴史の豊かさがあげますが、私も同感です。でもそれに加えて人間関係がなければ、いいものもいいとは感じなくなってしまうと思います。私にとって小樽は見知らぬ土地でしたが、人間関係に恵まれていたおかげで、いいものはいいと素直に思えるのです。そう考えると、小樽も都市化される一方で、コミュニケーション環境が希薄になりつつあることが心配です」と語り、その考えが商売で証明されたことを教えてくれました。
「ワックスはデリケートな商品のため、種類や塗り方や雪質などによって、より大きく効果を左右します。ですからお売りする際にはうるさいほど商品説明をさせていただきます。そういう姿勢を見てお客様が、こんなに丁寧に教えてくれるお店はないと評価してくれるのです。つまりいい商品も使い方で効果が倍増するのですね。小樽のいい素材も、そこに住む人々とのいい関係がないと見過ごしてしまうんです」

そして今
「子供たちも皆それぞれ独立し、スキーワックスやカーワックスの業務は、時代の変化とともに次第に規模が縮小されてきました。
 北海道歩くスキー協会の事務局長という立場も20年になり、またおたる案内人の一級もいただき、小樽観光大学校の運営委員として女性の立場から意見を言わせていただいています。考えてみると仕事も趣味もなぜか小樽ならではのものですね。私もすっかり小樽人になっているのかもしれません」