小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top

コラム

近代化とその遺産



小樽と近代化遺産
 小樽の恵まれた歴史的環境のほとんどは明治以後につくられたものなので、広義の意味での近代化遺産といえます。近代化遺産の歴史的環境に恵まれているというのは、北海道では函館と小樽に特徴的なことで、本州の長い歴史スパンと大きく異なります。

近代化遺産
 文化庁は近代化遺産を「幕末から第二次大戦期までの間に建設され、日本の近代化に貢献した産業・交通・土木に関わる建造物」と定義づけています。小樽は明治以後、北海道への移民や物資の玄関口であったことから、人材も資金も智恵も集まったので、必然的に近代化に向けた様々な建造物がつくられてきました。
 幕末に近代化の化け物としての黒船が押し寄せ、恐怖にさいなまれながらも、「植民地にされる前に日本も近代化しなければ」というリアリティが殖産興業という国の方針になり、その方針に基づいて北海道開拓も推進されます。
 このような背景から、北海道開拓は「本州と北海道のギャップを埋める」どころか一気に「近代化の移植」という国家的テーマがあったことは明確です。

小樽の近代化遺産(商業部門)
 小樽は北海道の玄関口として物流の拠点となったことから、産業の中でも商業の近代化の端緒を築いていきます。近代化のシンボルは「機械化」ですが、商業の近代化とは何でしょう。今日ではスーパーやコンビニのような販売形態であったり、ITネットワークや電子決済であったりしますが、当時は広域商業を対象とした「運搬」「荷役」「保管」という基本的な需要を満たすものが求められましたので、鉄道・港湾、そして倉庫や銀行として顕れました。
 鉄道では、明治13年手宮―札幌間、明治15年札幌―幌内間、港湾では、明治41年北防波堤、大正10年南防波堤、大正12年運河、昭和12年第一埠頭、昭和25年第二埠頭、昭和42年第三埠頭、倉庫では、明治22年広海倉庫、明治24年大家倉庫、明治27年小樽倉庫・右近倉庫、明治28年中村倉庫・明治28年〜大正 澁澤倉庫、明治36年増田倉庫、銀行では、明治28年第百十三国立銀行、明治41年百十三銀行小樽支店、明治45年日本銀行小樽支店・北海道銀行本店、大正11年三菱銀行小樽支店、大正12年北海道拓殖銀行小樽支店、大正13年第一銀行小樽支店、昭和5年安田銀行小樽支店などがあげられます。

倉庫
 近隣商業では蔵、広域商業では倉庫が必要になります。運搬する距離が遠ければ遠いほど物資を多く運びたいし、また多くなければ採算がとれないという法則がうまれますので、広域商業には必然的に蔵ではなく大きな保管面積の倉庫が必要になります。
 倉庫は輸出入という広域商業が発展した古代エジプトやバビロニアで既に誕生していますが、日本の近代倉庫は1880(明治13)年三菱為替店が深川にある真田氏の蔵屋敷を受け継いで倉庫業を開設したのが最初といわれています。<平凡社 世界大百科事典>ちなみに英語のwarehouseがなまって上屋となったという俗諺があるように、英語が入ってくる時代、つまり近代の所産といえます。

蒸気船
 いっぽう商人による近代化では、倉庫のほかに船も所有しました。最初は北前船という前近代的な船を使っていましたが、次第に帆船となり蒸気船となっていきます。小樽商人の横綱であった海運王の板谷宮吉は所有していた蒸気船を日露戦に供出し、膨大な保証金をもらったといわれています。しかし海運業で財を成した小樽商人の蒸気船は現在残っていません。

小樽の妙
 ある目的をもってつくられた建造物が、その目的を達成したり、あるいは社会的にその目的が曇っていくと、建造物は不要になります。そして壊して新たな目的に沿うものが建てられる、いわゆるスクラップ&ビルドの洗礼を受けます。しかし小樽の現代人は運河や手宮線、あるいは倉庫や銀行を観光拠点に転換するという妙技を成し遂げています。
 この過去と現代のコラボ、あるいは小樽の財産を生かすビジネスモデル、またレトロに懐古や癒しのイメージなどが発信され、小樽は独自の観光地になっています。
 さて、このように小樽は商業面での豊富な近代化遺産を活用した、独自のまちづくりがまず確認でき、今後、この独自性を広げたり深めたりすることの他に、開かれた港を持つ有利性を生かして、世界中から人々が集まるような未来都市をそろそろ描いてもいいのではと思います。