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地域経済(11) 経済を読む

中国の躍進と日本企業
小樽商科大学
ビジネス創造センター 
  センター長・教授 海老名 誠



中国が日本を抜いた?
 最近、2010年第二四半期(4―6月期)に中国のGDPが日本を上回ったと正式に報道されました。ついに中国は世界で第2位の経済大国になりました。中国は1978年暮れに「社会主義市場経済」という世界に類を見ない制度を導入し、32年後に国の経済規模において日本を抜いたのです。もっとも中国の人口規模は日本の約10倍ですから、一人あたりのGDPでやっと日本の10分の1を超えたということでもあります。
 現実に、中国の政府関係者は「我が国の経済レベルは未だ日本に遠く及ばず、日本に学ばなければいけない事が多い」と言っています。しかし、GDPが一国の経済力を計る重要な指標であることに変りはなく、少し前まで社会主義国であった中国が、ここまで経済成長を遂げたという現実を素直に認め、賛辞を送りたいと考えます。

中国経済発展のキーワード
 中国が、過去一貫して順調な経済成長を続けて来た理由については、これまでも解説して来ました。当初、西側の経済制度を学ぶために定めた「経済特別区」制度や、そこで試験的に行われた「外資導入政策」などが成功したのです。外資導入政策は、中国の沿岸解放区(海に面した14の都市部)に適用され、1992年には「先富論」が発表されました。
 中国は長年にわたり「社会主義国」でしたから、国民はどんな時も同一歩調で歩むことが求められて来ましたが「先富論」により「先に金持ちになっても良い」と言うお墨付きが与えられ、企業家はこぞって利潤の追求に走りました。このタイミングで「外国資本(企業)」が中国の経済成長に拍車をかける主たるプレーヤーになりました。国営企業は順次民営化され、外国企業と合弁企業を作り、外国の技術を学びました。

日本企業の中国進出裏話
 私は、当時富士銀行香港支店の副支店長で中国担当でもありましたので、3ヵ月に1度位の割合で中国に出張して、日本との取引機会を探っていました。中国側からは、日本の著名企業に来て貰いたいと随分懇願されました。それでも日本のほとんどの企業は、中国への進出には当初慎重な姿勢でした。それは無理もありません。30年前の中国には、西側の商習慣を規定したマニュアルも関係法規もありませんでした。解放直後に中国に進出した日本企業の中には、毎月の様に法律が変わることに困惑し、本社との板挟みになり、ノイローゼになった駐在員もいました。中国市場に早くから関わった日本企業には、今の何倍ものご苦労がありました。それでも発展途上国の市場と言うのは「一番乗り」が揺るぎない位置を占める例が多いのです。例えば、車では上海にドイツのフォルクス・ワーゲンとの合弁車「サンタナ」が牙城を築いた時期が長く続きました。中国側では早くから日本のトヨタ・ニッサン・ホンダに進出して欲しいといっていましたが、当時の日本車メーカーは中国よりも米国・欧州での展開が先でした。
 今、中国が世界一の自動車市場になりましたが、日本のメーカーが主流になった訳ではありません。これは、オートバイやカメラがアジアの多くの国でメーカー名で呼ばれていたことからも解ります。例えばベトナムではオートバイのことを昔は「ホンダ」と呼んでいました。ホンダがベトナム市場に「一番乗り」をしたからです。この様に、リスクの大きい時期に進出することが、後々に大きな利益をもたらす例があります。しかし、当時の担当者のご苦労は如何ばかりかと考えると、本社はその担当者・駐在員に十分報いているのだろうかと、複雑な気持ちになることも事実です。

 今、小樽には富裕層ばかりでなく、中間所得層の中国人も沢山訪れています。小樽が中国人観光客に良い評判を得る事が出来れば、今度は「小樽が日本で一番だ」と言って貰えます。