小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽の意匠(6)  顕誠塔(けんせいとう)




金鴟
 小樽公園グランドと桜ヶ丘球場の間にある丘に、顕誠塔が建てられています。頂上に翼を広げた鳥が飾られていますが、これは「金鴟」といって日本軍人のシンボルで、金鴟勲章は戦争中最高位の勲章にもなっていました。
 その由来は古事記に、長髄彦を攻めあぐねていた神武天皇の弓に金色のトビが降りて止まり、その光輝に目を眩ませて勝利をもたらしたという説から勝運のシンボルになったことによります。
「金鴟勲章が見せたいばかり」という歌詞は昭和14年に石坂秋二作詞の「九段の母」の一節で、戦死した我が子のために靖国神社にお参りする母の心境を唄った歌です。

エピソード
 愛煙家にはお馴染みのゴールデンバットは、明治39年大蔵省専売局から発売された日本最古の煙草です。
 ブランドにコウモリを使った背景には、当初、コウモリが幸運の象徴とされる中国向けの輸出用ブランドとして企画された事情があるようですが、昭和15年には敵性語(戦時中外来語は敵国の言葉として禁止)となったことから、「金鴟」に変更し、昭和24年にはまた「ゴールデンバット」になります。

顕誠塔
 顕誠塔は大正13年5月17日<小樽歴史年表>に建立された際、戦没者を奉る忠魂碑(昭忠碑)と称されていました。忠魂碑は全国所々にも建てられていますが、小樽のそれは花崗岩で造作された17m以上の塔で全国的にも類を見ない大きなものです。日露戦争(明治38年)後、生還将士から戦死者の御霊を慰霊したいという申し出を受け、小樽の経済界や在郷軍人が中心となり19年後に建立されました。翌大正14年から招魂祭が開催されます。
 現在は招魂祭を主催している小樽顕誠会が管理しています。第二次大戦までは両側に水兵・陸兵の像も建てられていましたが、戦後は進駐軍の圧力のせいなのか、戦時色を拭うために解体され、また郷土小樽に貢献された人々も合祀され、顕誠塔に改称されました。