小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(7) 他の地域との比較から小樽の輪郭を探る

札幌と小樽


北海道の本府
 開拓使は北海道開拓計画において最初から本府(核になる地域)を札幌に置くことを念頭に抱いていました。何故なら江戸時代既に開港・開拓の鍬を入れていた函館より北海道の中心にあり、平地面積が多くあることが理由のようです。
 さて、そこで開拓物資を降ろす港はというと、天然の良港であった小樽が脚光を浴びて、以後、小樽港は商業港として、札幌を差し置いて一大発展を遂げるのです。

人口比較
 「札幌を差し置いて」という表現は、背景に人口膨張の度合いが込められています。小樽が市制施行した1922(大正11)年を境に札幌の人口が上回っていくのです。小樽はそれまで、まるで北海道の本府であるかのような勢いを持ちます。
 増加率は札幌の比ではありませんが、小樽はそれ以後も人口増加を続け、1964(昭和39)年の20万7千人をピークに今日の平成22年7月現在で133,485人まで減少します。いっぽう札幌は平成18年には188万人を超えるまで膨張し続けます。

小樽経済と札幌
 「小樽より札幌の方が仕事になる」という価値が明確になる契機は第二次大戦時の統制経済でした。経済機能の尺度となる銀行が一県一行制で、小樽にたくさんあった銀行が札幌に集約されたことがあげられます。加えてニシン不漁、石炭の石油転換、空陸交通機関の発達により、商業港小樽の要因が全て失われたことによります。
 以後、小樽商人は札幌に移転するか、もしくは札幌の顔色伺いを強くする気質になっていくのです。後志の兄貴分という位置づけにありながら、弟分の面倒見の悪い小樽はこうした背景によるところが大きいといえます。

小樽観光と札幌
 小樽が誕生して昭和50年代まで一部の人々以外は誰も「観光都市」などとは思いもしなかったのに、50年代後期から観光整備が進み、道内において有数な観光地に急激になっていきます。
 この急激に観光都市になれたのは、隣に札幌があるからであり、逆に小樽の宿泊率が伸びないのも隣に札幌があるからにほかなりません。