小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top

寄稿

「終わらざる夏」と小樽
大東文化大学 法学部政治学科 教授 東田 親司(千葉県在住)

専門分野と研究テーマ公共政策論
行政管理、行政改革、地方分権改革、政策評価制度、公務員制度


 今年の夏、「終わらざる夏」(浅田次郎 著 集英社上下巻)を読んだ。新聞に広告がでていたので読まれた方も多いと思うが、千島列島最北端の占守島の守備についていた旧日本軍が、終戦後に攻めてきたソ連軍と交戦し一時的に勝利するが、大本営からの指示で降伏し、シベリアに抑留されていく経緯を縦糸にしつつ、各地から召集され数日の違いで生還を許されなかった多くの兵士たちとその家族の挿話を横糸にしたノンフィクションである。
 綿密な取材に基づく叙述のおかげで旧日本軍の内部事情や戦前の千島列島の歴史地誌などを学ぶことができたが、攻撃してきたソ連側の兵士も、スターリングラード攻防戦やベルリン解放戦を生き抜いたものの、モスクワへの帰還だと騙されてカムチャッカ半島まで連れてこられた被害者であり、当時のスターリン指導部の被害は日本だけではないことも知った。
 ところで、この物語の中に、千島列島へ配備される旧日本軍が小樽港から出航していったことが記されている。それを読んで私自身が幼いころに亡母から聞かされた話を思いだした。
 終戦の年らしいが、旧陸軍が小樽市内の各家庭に分宿し数カ月過ごした時があった。私が生まれる直前であるが、私の家(緑町柏通りにあった6畳3間の借家)には3人の兵士が分宿し、うち一人が古平町出身のH曹長であった。
 ある日、母はH曹長から「母さん、すまないが古平の親に電報を打ってくれないか。どうやら明日、千島方面へ出撃するらしいので」と頼まれた。母からの電報を受け取った古平の両親は吹雪の山道を馬橇で小樽まで夜を徹してかけつけた。息子は手作りの牡丹餅を本当においしそうに食べていたという。 
 そして、昭和23年のある日、我が家の前にボロボロの服で歯が全くない白髪の老人が立っていた。H曹長が帰国後、小樽港に着くと真っ先に我が家までみえたが、厳しいシベリア抑留生活を反映して、母には全く別人に見えたという。戦後、私も母に連れられて古平のお宅までお邪魔するような付き合いが続いた。海岸沿いの国道はまだできておらず、余市からは曲がりくねった山道をバスでいかなければならなかったが、苦しい時代を生き抜いた者同士が分かち合える喜びがまさっていた。
 「終わらざる夏」のおかげで、天狗山の頂上からかすんで見える積丹方面の出入りする海岸線の風景が浮かんでくる今年の夏であった。