小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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まちづくり運動から学ぶ(40)

ポートフェスティバル実行委員長
石井 伸和


青天の霹靂
 昭和59年4月、ベベ(岡部唯彦)から呼び出された。ポート創設メンバーの柱である山さん(山口 保)、格さん(小川原 格)、興次郎(佐々木興次郎)らと話した結果だという。
「石井、お前、今年のポートの実行委員長やってくれないか」といういきなりの用件だった。
「ちょっと待ってくれよ。DAX(原田佳幸)が実行委員長の年に、スタッフの若返り人事でさんざん話し合ったじゃないか。俺もその中にいたし、ベベもいたじゃないか。最初から関わったロートル組は、表に出ないで支援しようと。俺もロートル組の一人として支援の側にまわる立場で議論に参加したのに、なんで今さら」と返したが「お前がそう言うだろうことも充分予想できたさ。でもな、お前も現状の油濃さ分かるだろう。ましてお前は100人委員会の中枢にいるんだから。要は上の連中は、ここらでポートとしての最後の力を出さなければならないという方向で一致したんだ。それもポートのスタッフとしてわかるだろう。そこで実行委員長は表に出る。お前は俺達の中では唯一経済界に名が知れている。経済界というオフィシャルな世界に足をつっこんでいる奴が名を出すのと出さないのとでは、今年は全く意味が違ってくるんだ。だからお前なんだよ」と詰められた。
 経済の一員をなす小さな会社の管理職が実行委員長として名を出すこと、経済界の一員だからといって経済界に運河保存を未熟ながらでも説いてきたことが重要だという。ジャーナリズムの注目度、マスコミ報道を通した影響力、100人委員会の執行部といった効力が違うという。
「でもよぉ、俺の会社なんて吹けば飛ぶような小さな会社で、とても経済界の一員なんていえないぜ。それに、若者組から朝令暮改の軟弱さを批判されたら何もいえないじゃないか。もう既に文句をいいそうな何人かの若手の顔が目にも浮かんでるくらいだ。逆にポート内部が分裂する可能性さえあるリスキーなことだぜ」と切り返した。
「おお、そのリスキーなことを全スタッフでやることに意義があるんだ。俺も政治はよくわからんよ。でもお前も俺も、ポートはその政治的土壌から発想されたことを知っている。同時にポートが政治的にどういう効果を発揮してきたかも知っている。そして今年の緊迫した政治的背景も身を以て理解してる。だからお前なんだ。お前が理由にしている会社の規模なんて関係ない。少なくともお前は経済界に運河保存を説いてきた唯一の男だということ。それに若手の批判は俺達がみんなでカバーする。だから決断しろ」結局、「考えてみる」ということでベベと別れた。
 攻めの理由で自分だというなら、その筋書きを演じようという侠気での納得はあったが、若手のスタッフに申し訳ないという気持ちだけは拭うことができなかった。また、かつて格さんが第二回実行委員長を引き受け、吉岡が嫌われ役の事務局長を引き受けたように、私も「自分しかいない」覚悟を固めるしかないという渡世の義理も考えた。この時の自分の器では、侠気や義理という尺度で実行委員長を引き受ける方向には傾いていたが、そこで想定しうるリアクションを受けて立つまでの覚悟には至っていなかった。

陽明学?
「最後の集中力?」「集中するのに最も相応しいのは?」「仲間を信じて一歩を?」
 今だから解説できるが、このときに重宝な決断基準として陽明学というものがある。私自らが実行委員長に躍り出ることに対しての不安は二つあった。運河運動はまさに五者会談が熟し佳境に入っていた。佳境に入れば入るほど政治性が濃くなる。政治性が濃くなれば、伝説化していた藤森氏のような圧力を受ける可能性が高まる。私の会社状況は年商一億そこそこの売り上げに対し借金一億もあったのだから、経営実態は風前の灯火に等しい綱渡り状態だった。だから圧力が少しでもかかればひとたまりもない。会社専務としてそんなことできるのか。いま一つは、やはり後輩への配慮だ。いまさらどの面下げて俺がやるなどと言えるのか。
 しかしいずれも不要な悩みだと陽明学はいう。公に対し私は無であるべきだ。公の真実がそこにあるのに戸惑う理由は何もない。失敗の怖さ、受ける圧力、湧き出る反発、そんなものは全て私だという。さらに自分が失敗してもその勇気ある志は引き継がれる。そのためには狂気も覚悟する。こういう竹を割ったような思想だ。いま公の大局において必要なのはベベのいう「最後の集中力」であることは身を以て感じていたから、この陽明学を知らずとも、感覚的にこういう尺度で決断しようとする自分がいたことは間違いない。

錯綜
 既に実働部隊となってきた若手の実行委員会では、今年の実行委員長の手筈も整えられていた。そこにロートル組が大挙して乗り出し紛糾した。私はベベに連絡してあえて欠席した。後日、吉岡から電話がきて、「石井さん、頼みがある。第7回実行委員長に立候補してほしいんだ。これで決まりだ」という。既に実行委員長根回しは吉岡はじめ中間層には行きわたっている。そらきたかと思った。立候補という奇策を演じなければならないように、やはり紛糾した。
 岡部のいう政治的緊迫感は身に染みて理解していた。大人で形成された実社会に若者が巻き起こした現象がインパクトを与えたどころか、一発逆転の最終局面にまでその社会的波紋を広げてきた。そして今年が天王山だということも理解できた。
 未熟な私のもう一つの尺度となったのは坂本龍馬だった。土佐で武市半平太率いる土佐勤王党に血判まで押しながら、彼らからはずれ、脱藩までして勝海舟に会い時代のリアリティを悟った。志を分かってもらえない仲間達に身を任せるのか、孤独になって自己が確信した社会的リアリティを以て戦うのかだった。「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」でいくしかないか? 私的な理由は理由にならないか? 言い訳は男を下げるか? つるしあげをくらうか? 嫌われ者になるか? むしろ大人社会に一矢報いることができれば本望か? 頭の中も胸の内もまだ錯綜の中にあった。

決断
 だがいつまでも悩んでいられない。決断するしかない。
 29歳になっていたこの時期の私が、なぜここまで熱くなれたのだろう。後世、「君らのような果敢なボランティアがあったから小樽は有名になった」と言ってくれる人もいた。ボランティア? 奉仕? 違う。立場や財力や名誉ある方々が傾けるそれとは全く違う。事実そんなものは持ち合わせていない。いまや死語になった「青雲の志」とも違う。実行委員長を決意しようとした時、若者から湧き出る反発は覚悟できたが、私的なことだから排除しようとした「会社の専務として」という不安はまだまだうごめいていた。だから世間が思う綺麗事ではない。そこから語らねばならない。
 会社は苦しい。結論をいえば、むしろ苦しいから決断した。
 印刷業は情報産業の一端に過ぎない。なら情報とは何だ。情報の生命は、いつ生まれどのように伝わるのか。情報にはどんな種類が、伝えたいものと隠したいもの。情報の影響は、ジャーナリズムとは。そういう問題意識でいつも飢えていた。その中で最も強い情報(ジャーナリズム的視点でいえば)は社会的変革だと思った。既存の社会秩序を支えていた価値が、新規の社会展望希求への価値に置き換わることだ。過去の経済を支えていた原則とは異なる新たな原則を起こすこと、この時は地域の個性を活かす経済原則だと思った。歴史や個性を無視して中央の流れを汲むスクラップ&ビルドの波に晒すのではなく、高度経済成長に乗り遅れてギャップと思っていた歴史的環境の残骸と放置を、再利用して活かす価値を提起することではないか。災い転じて福となすともいう。
 こういう新たな価値社会のプロデュース側に立つ必要がある。社会改革の川上にである。とすれば情報発信の中枢に自分は立つことになる。だから急がば回れで会社復活のためにも、この与えられた扉を開けねばならない。このように背水の陣で伸るか反るかの賭けへの一歩だった。ではどんなプロデュースか。「小樽をおもしろい街にしたい」といった漠然とした社会展望の中で、駒木氏らが調査して発見した小樽の歴史的環境一つ一つの価値、「こんなにすごい歴史的価値があるんだ」「こんなにおもしろい再利用の事例があるんだ」により、少しずつ具体性を帯びていた。会社を私事と思っていたが、街も仕事も実は公的なことなんだと私の心の中では一致した。そうだ、既存の社会システムの一要素という立場の仕事ではなく、社会システムをプロデュースする側の仕事をしよう、そうすれば会社は社会をプロデュースするに十分な公的存在になると思った。
 そう考えた瞬間から、我が儘を自認していた自己の中に公的志向が芽生えたことへの喜びがわき出してきた。「俺にも公的な人格があったのか」という発見だった。無性に胸が熱くなれたし、この熱さが公的展望に向けて様々な発見を喚起し、ますます加速された。この自己問答の末に実行委員長立候補の決断をした。

紛糾会議
 私は淡々と第7回ポートの実行委員長に立候補した。吉岡の筋書き通り簡単に決した。が、以後おさまらない若手スタッフから「俺達はただ利用されているだけなんだから」という伏し目がちの発言があった。
 山さんがそれに噛みついた。「おい、ちょっと待てよ。利用してるってどういうことなんや。君らは今の緊迫した状況を知っとんのか。君らはみな仲がいい。それはいい。でも君らの会議はバランスとっとるだけで議論やない。バランスとは、去年アイツがそれをやったから今年はコイツだとか、去年赤にしたから今年は青をという内容をいうんや。つまり囲われた檻の中での円満な順番を論じてるのに過ぎんのやで。前例がないことも、前提が覆ることも充分あるのが生身の社会や。なんの摩擦もなく全てのことが決められるなんてありえんのやで。綺麗事で生きていける人生なんてないんや。君らは運河をめぐる政治状況にさえうとくなっているやろ。石井は問題意識があるから僕んとこに何回も聞きに来る。お前らだれか僕にそんなことを聞きに来たことあるか。今の状況下では僕に最も情報が集中しとんのや。その情報に興味がないということは、今の小樽に問題を感じてない証拠や。僕は君らが嫌いだからいっているんじゃない。好きだし仲間だと思ってるからいうんや。一人一人が自分の意志で状況を把握し、自ら悩んで意見を言う者もいなくなれば街は終わりや。確かに僕は君らにも署名集めを頼んだ。それを以て利用したといっているのか。君らは自分の言葉と意志で呼びかけた成果と違うんか。それを言うなら君ら自身がつくった仲良しグループから利用されてることになるんやで」
 この演説で会議は鎮まった。すかさず格さんが「まいい。ヤマさん。そこまでいうな」と止め、若手に向き直りムードを緩和させた。「お前らももっと社会を現実を見てくれよ。現実と戦う仲間が本当の仲間じゃねぇか。俺達ポートは緊迫した状況下でたまたまそういう課題をもらったと思えばいい。だから全員協力して石井を支えようぜ」