小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(14)

銭函と小樽




複雑な境界線
 石狩湾新港の中央水路が石狩市と小樽市の境となり、そこが小樽市銭函5丁目で小樽市の海側の最東、そこから海岸線を西に辿り銭函4丁目当たりの国道337号が札幌市との境となり、小樽カントリー倶楽部や工業地帯のある銭函3丁目は小樽市だが、JRほしみ駅は札幌市に入り、星置川を境に小樽市と札幌市が分けられ、小樽市の山側の最東が星野町である。

境界の変更
 明治35年に銭函は朝里村大字銭函となり、昭和15年に朝里村は小樽市に合併される。
 また石狩湾新港ができた昭和50年4月15日に石狩市の海岸線に食い込んで樽川地区と呼ばれる銭函4〜5丁目が小樽市の版図となった。

人口と世帯
 平成20年の銭函地区(張碓町・春香長・桂岡町・見晴町・星野町・銭函1〜5丁目)の人口は12,861人(小樽市の9.4%)、世帯数6,159戸(小樽市の9.0%)を占めている。
<平成20年国勢調査>

「小樽」地名発祥
 「松前藩オタナイの支流マサラカオマプ(現清川)に小樽場所を置きたるを初とす、…アイヌ出所の地名を以て場所の名とせり」<『北海道蝦夷語地名解』>とあるように、「オタナイ」を和人が「オタルナイ」と誤って解釈したところから小樽の地名は生まれた。そしてこの「オタナイ(ナイは川の意)」は銭函4丁目にその河口(新川より4丁目側)があったが、現在は幻の川になっている。

気 質
 堀耕『銭函の話』の一節に「札幌でもない 小樽でもない」とあるように、銭函の人々にとって行政区への依存心より独立心が強いことがうかがえる。昭和55年に筆者が銭函を取材した『ふぃえすた小樽』で、当時キンコン館店主の松本氏(故人)は「小樽にとって銭函は小樽だと思われていない、実際この地区の人々が買い物に行く先は札幌」といっておられた。現在ドリームビーチと呼ばれる浜には夏ともなれば札幌から大勢の海水浴客があふれる。小樽から認識浅く、札幌から侵攻される構図だ。

新しい風
 厳寒の真冬にJRの車窓から、ウエットスーツを着たサーファーたちが練習をしている驚くような風景をよく見かける。銭函はいまこのサーファーのメッカとなりつつある。地勢や歴史や行政に関係のない新たな風が吹きはじめている。ここ30年間、小樽市の人口は20%も減っているのに、銭函地区の人口は、工業系の企業誘致や桂岡の宅地造成により他地域からの移住者を増やし一定を保っていることに、自立したまちづくりが根を下ろしている。
 小樽にとって銭函地区は名前の発祥であると同時にニシンで活況を呈し、鉄道敷設の隘路をクリアして歴史に貢献してきた。まして小樽市内で最も広大な平坦地を擁し、日本最大のカシワ樹林を持つ。自然や歴史を対象とした観光拠点や工業群からの商品開発、そして若者のニューウエーブの拠点でもある。特に小樽観光の最大のリピーター層である札幌圏からの入口なのだ。