小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalw帰化人(25) 小樽こだわりのライフスタイル

帰化人(25) 小樽こだわりのライフスタイル

小樽の側面史は朝里にあり
医療法人社団 すみえ医院
院長  末永  通 氏
〒047-0152 小樽市新光1-21-1
TEL 0134-52-3100
FAX 0134-52-3101



履 歴
 末永 通氏は1949年函館に生まれ、68'年函館ラサール高校を卒業、75'年北海道大学医学部卒業後、旭川医科大学細菌学講座助手としてインターフェロンの研究に従事、80'年北海道大学医学部耳鼻咽喉科助手、講師、87'年函館中央病院耳鼻咽喉科、88'年市立札幌病院耳鼻咽喉科、92'年札幌社会保険総合病院耳鼻咽喉科勤務の後、93'年耳鼻咽喉科すみえ医院副院長、2004年同理事長・院長として現在に至る。
 札幌厚生病院時代に、小樽で産婦人科医であった角江哲雄氏二女せい子氏とご結婚をされ、4人の子供に恵まれた。

帰化経緯
 北海道大学医学部耳鼻咽喉科時代には銭函に居住して通っていたこともあるが、本格的に小樽に腰を据えた1993年以降、小樽に親しみを感じるようになったという。
「私の時代の医者志望者は家庭を持っても勤務と学びで家族を振り返るなんて夢のような時代でした。子供には恵まれましたが、下の男の子ぐらいしかふれあいがなく、それで子供が一生懸命だった野球に対し、朝里少年野球協会を設立して、会長として応援できるようになりました」と語る。この野球協会の関係で、1999年に朝里で電気工事店を経営されている岡田宏一氏に誘われ、朝里のまちづくり会に入会し、末永氏が特に朝里の歴史に興味を向ける契機となった。

思い
 「銭函に住んでいた時には、東京に対しての横浜のように、札幌に対しての小樽のイメージが漠然とありました。朝里に住むようになり、朝里のまちづくり会に入会し、特に朝里郷土史研究家の小林定典氏のご尊父小林 廣氏が書き残した、古文書を読み解く作業に関わり、朝里の歴史に没頭するようになり、同時に朝里地区に愛着が増してきました。昭和15(1940)年9月1日、小樽市は朝里村を併合しましたが、70年過ぎた今では小樽から独立してもいいのではくらいの妄想を抱くまでになりました。(笑)極論はさておき、朝里は小樽を眺めるのに非常にいい場所でもありますね」
「歴史への興味は尽きなく、たとえば松浦武四郎が記した地図には、朝里と柾里が逆になっているのです。聞き違いか書き違いか、あるいは意図があったのか、様々な文献を紐解きながら、その謎を解くのがおもしろいですね」

角江重左衛門
 末永氏の妻せい子氏のルーツは、明治9年に能登半島鳳至郡から角江重左衛門氏が渡道され、山ノ上町に上陸し、55歳で薬業に就いたのを機に、次男重雄氏が昭和9年に産婦人科を開院、それを長男哲雄氏がすみえ産婦人科として継承してきた。昭和63年中央通りの拡幅の際に、現在の朝里に移転し、元の場所は朝日生命ビルに変わっている。
<『小樽薬業史』平成2年10月>

さらなる思い
「私の代には耳鼻咽喉科とアレルギー科としてすみえ医院を継承しています。越中の薬売りのルーツにも興味が芽生えてきています。なんといっても日本の歴史上、広域に薬を商う役割を果たしたのですから、歴史的貢献度は大きいですね」
「小樽の歴史は多くの人が調べておられますが、その周辺にある銭函・張碓・朝里・忍路・塩谷・蘭島という地区の歴史はまだまだ埋もれたままです。海と山に囲まれ、市街地の境にある朝里は、小樽の側面史にも該当します。朝里の歴史が詳しくわかれば、小樽全体の歴史観も、もっと重層的になると考えています」