小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

現場論
編集人 石井 伸和


自費出版
 平成6年、いまから17年前に「現場論」を著し自費出版した。いまもそのときの考えは変わらずに持っている。本旨は「政治的・経済的計画あるいは都市計画は、その現場に携わる人々の苦労を弁えて遂行されるべきだ」とした。計画と現場が食い違うと必ず悲劇が起きる。それも内部に発生する最悪のシナリオとなる。
 政治にも経済にも都市にも理論上の方針は必ずあるし、それを論じることは担う人々の大事な仕事だ。一方、現場には現場の掟がある。いわゆる現場主義だ。現場主義だけではいけないし、政治や経済の空論だけでもいけない。
 計画は主に政治や経済の頭をなす人々によって編まれるが、その際、必ず現場の意見を盛り込まなければと主張した。

事例
 一人の人間の中にも「計画」と「現場」の二面性はある。夢(計画)を持ち努力(現場)するということだ。夢がなければ努力もしないから現場はただやり過ごせばいい。
 計画と現場の摩擦による最大の悲劇は戦争だ。政治家が戦争を決断する。命をかけた若者が戦地という現場へ向かうが、政治家が戦地に立つことなど皆無だ。身近な記憶がベトナム戦争で、アメリカの帰還兵の多くが精神を患っている。「歓迎されず」「優遇されず」という風潮があるからだ。なぜなら政治は既に変貌していたからだ。「あの命がけの経験は何だったのか」と不信感に苛まれるのも当然だ。
 次の事例は刑事ものの映画でよく使われる。「踊る大捜査線」で「事件は現場で起きているんだ」という名台詞がある。警察のトップが事件の解決法を議論する過程で、派閥同士の争いが輪を掛けて複雑化することへの怒りだ。

カジノ誘致
 現在、カジノを誘致しようという運動がある。賛否ではなく、やるならという危機管理についてである。これには国のカジノ特区といった政策もからむらしいが、詳しくは知らない。誘致する側は「金持ちが大勢楽しみにくるのだから経済効果がある」と読んでいる。この理屈は自然でわかりやすい。
 どっこい、カジノは日本でいうバクチにほかならない。金持ちがポケットマネーで遊ぶ金額と人数より、貧乏人が一攫千金を夢見て有り金の背水の陣で参加する金額と人数の方が遙かに多い。個々の金持ちのポケットマネーと貧乏人のナケナシは同額としてもだ。実際は、金持ちほどバクチをしないもので、貧乏人ほどしたがる。金持ちはたとえ一円でも無駄だと判断するが、貧乏人は努力をあきらめた隙間にバクチを位置づける、いわば最後の手段だ。だから現場はギスギスする。これがラスベガスのように、煌びやかな女性やショーの騒がしい環境があれば、負けたうちの何人かはそれに引き込まれて「まっいいか!」で済ませられるかもしれないが、表面上はバクチ禁止の日本だから、多くの規制が入り、ラスベガスのようなドハデな環境にはなるまい。むしろ葬式会場のようにシーンとした韓国の事例に近くなる。その静けさが危ない。静けさはギスギス性をますます孤立させる。ここに邪が入り込む市場が生まれる。自暴自棄を道具にする市場だ。誘致を計画する側は、バクチが自暴自棄に直結している現場を知ってほしい。貧乏人のナケナシの心境を知って欲しい。
 この市場がはびこれば、小樽観光が25年間で蓄積してきた全てを失う。だからそうならない環境整備を万全にしてからでなければ、容認できる話ではない。

リーマンショック
 2008年にアメリカの投資銀行リーマンブラザーズが破綻し負債額64兆円という空前の倒産が発生した。これが世界中の金融関係者に与えた負の影響は何十倍にも渡るだろう。デリバティブは金融派生商品とはいうものの、いわゆる金融のバクチだ。ところが実体経済にそれほど大きな影響を与えない。むしろ東日本大震災の方がはるかに影響が大きい。なぜならリーマンショックは金を持っている者が金を失っただけだからだろう。金持ちたちの64兆円より、ナケナシの100万円の方が事件につながる。額の問題ではなく市場の問題であり、小樽観光の質の問題だ。
 金持ち感覚の計画で上がる経済波及効果より、貧乏人の自暴自棄によるマイナス効果の方が数段大きい。