小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(27) 小樽こだわりのライフスタイル

この街には何かがある
工藤 竜男 氏



はじめに
 昭和58年に筆者は工藤氏と初めて出会う。以後、頻繁に情報交換する仲間として親しくさせていただいているから、かれこれ30年近い。小樽の帰化人とすれば代表格であるが、工藤氏が小樽で関わってこられた内容を記すにはあまりにも紙面が足りない。それは情報交換するたびに多大な苦労をされてきたことを筆者は知っているからだ。だからここでは、氏の小樽への思いにつながる体験を列記するに留めたい。

特殊な青春
 昭和25年に釧路で生まれ、高校1年から空手を始め、昭和47年に北海学園大学法学部卒業。大学時代、STVでアルバイトをし、卒業後有能さを買われてADとして従事。また在学中に半年ヨーロッパ放浪の旅に出かけ、旅行記を卒論にすることで卒業を許されたという。
 昭和49年、世界史に興味を抱き、北欧に憧れ、フィンランドのヘルシンキ大学を受験し合格、約3年間留学。空手の町道場に通い、師範として500人もの弟子の指導にあたり、フィンランドナショナルチームの初代監督として様々な国際試合に出向いた。

帰化経緯
 昭和52年帰郷、近畿日本ツーリストに入社願いを出すが拒否。ここで彼は次の就職先には流れず、自ら「空手修行ヨーロッパ道場ツアー」を企画し近ツリへ再度臨んだ結果、入社が認められ、この経験が後の「企画稼業」の契機となる。昭和54年にSTVの紹介でジャックス札幌支店を紹介されるが、またもや拒否。しかし当時飛ぶ鳥を落とす勢いのパルコのお偉方のコネで入社試験を受け合格、しかし面接の際にこのコネが知られていたことを恥じ諦めて帰宅。ところが合格通知が舞い込み早速指定の日に出社。しかしスーツでなかったことで注意を受け、その話を聞いた近ツリ時代の上司が、「競馬で当たった」ことを理由に、スーツを買ってくれたという。しかしその上司が競馬をしないことを後で知り、その恩に涙した。
 昭和56年、異例の出世でジャックス小樽支店の支店長として小樽に赴任する。

第一印象
「ジープでワーグナーを鳴らしながら小樽を走り回る人」がいるという噂が飛び、それが「ジャックス小樽支店長とは」という二重の驚きを小樽市民は持つ。
 こうした鳴り物入りの鮮烈デビューの本人の陽気さとは裏腹に、氏は小樽に対して、閉鎖的な憂鬱さを抱くが、小樽での生活は間もなく「静かで優しい生活感」に変化する。それは近所の人々とのふれあいが原因であったという。そして、人を驚かす側の工藤氏が逆に驚きを隠せなかった出来事を小樽で体感する。それは運河で開催されていたポートフェスティバルであった。あの熱気、あの企画、そして開催前より開催後の方が清掃される見事さへの驚きだった。「この街には何かがある」と確信する。

展 望
 昭和56年、ジャックス小樽支店長として小樽に赴任した工藤氏は、北一硝子の浅原健藏氏と出会い親交を深めるが、翌年4月に旭川へ転勤となる。7月に浅原社長の勧誘もあり、北一の社員として再び小樽に戻る。そして8月から12月までヨーロッパで硝子仕入れの市場を調査し、新たな硝子ビジネスのイメージを模索。そして昭和58年2月、小樽の歴史を塗り替えるビジネスモデル北一硝子三号館がオープンする。
 以後、昭和59年7月に三菱地所の誘いにより、宅地開発中の望洋台に8月「小樽442倶楽部」というレストランと硝子販売の施設を独立して開店。
 その後、442倶楽部を拠点に、西條産業の「ダニーデン」、こだま交通の「シーサイドパレス」、北上商店の「ONZCO」、中澤漁網の「小樽運河工藝館」、「メルヘン交差点および蒸気時計」の命名と設置運動の発起人、SL「C62-3の復活」発起人など小樽の新たな観光施設やムーブメントに深く関わり、定山渓ホテルのリニューアルでは美泉定山の銅像を設置し、「定山房」ブランドを立ち上げ新たな土産コンセプトを開設。
 いわば小樽の観光の立ち上げに大きな貢献をされている。これらは「この街にはなにかがある」と感じ、工藤氏の中で醸造された表現が多かれ少なかれ浸透してきたといえる。

遍 歴
 小樽に決定的に足りないのはダイナミズムだという。進取の気性も自主性もあり、硝子・オルゴール・寿司の文化を小樽はつくってきたが、表現に幅がなく、自己満足に終始しているということ、いわゆるPR下手ということだろう。特に札幌へはわずか30分という利点を全く活用していない。札幌に響けば東京に波及する。一気に東京への直行便を飛ばす努力より、札幌経由便の方がはるかに安上がりで効率がいい。
 次に、アニメという手法を使いこなしていない。誰もが簡単に理解できる手法だと説く。しかもこの手法は「小樽はファンタジー」というビギナーの動機を揺り動かすことにもなり、こんな効果的な手法はない。