小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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alwHOMEalw読んでみるalw帰化人(30) 小樽こだわりのライフスタイル

帰化人(30) 小樽こだわりのライフスタイル

そのまんまでいいんだよ
黒松真由美 氏
喫茶ルナパーク オーナー

〒047-0022 小樽市松ヶ枝1-21-5
TEL 0134-32-9789



憧憬
 昭和41年3月に道東の川湯温泉で生まれた真由美氏は、北見の藤女子高校に進み、カトリックの厳粛な教育と寄宿舎での厳しい生活環境に身を置く。門限も早く、外出禁止、テレビもなく、楽しみといえば祭り花火の小輪を遠くの寄宿舎の屋上から並んで拝むくらい。この高校時代に英語が好きで漠然と外資系企業への就職志望を抱き、小樽女子短期大学を目指した。
「私、小樽へ行くの」という夢に、北見の多くの人々が「いいところだよ」といい、運河の噂を聞き、小樽博の宣伝を聞き、次第に彼女の胸の中に小樽都観が育まれていく。

学生時代
 昭和59年春、はれて小樽女子短英文科入学につき小樽へ。古い街並みの風格に驚き、電車を降りて地下に潜って改札を抜ける構造や、丸井や大國屋デパートの一つのフロアの中に1階と2階入口があるという坂の街の不思議さにラビリンス性を感じる。
 大学ではフォークソングクラブに所属し、ライブハウスのファンキーではよく活動、卒業式の前日には「これが最後だライブ」を魚藍館で開催し沸いた。
 潮まつりの花火の大輪を真下で仰ぎ、ポートフェスティバルを手伝い、門限もなく、テレビも映画も自由自在、「人生ってこんなに楽しい、小樽ってこんなに自由」そう感じた。

ルナパーク
 喫茶店のルナパークでアルバイトをしながら、自由のための資金を稼ぐ縁で、オーナーの黒松直樹氏と昭和63年にご結婚。現在大学4年の娘さん・義母と四人暮らし。
 ルナパークが誕生した昭和54年は、街場の20メートルおきに喫茶店が乱立していた時代だが、松ヶ枝の奥にそれができたという噂は小樽中の話題に。特に営業職のサラリーマンにとっては絶好のサボリ場となった。
 さて喫茶店、かつての取材で、「経済人は料亭、文化人は喫茶店」という棲み分けを聞いたとおり、ルナパ(勝手に略)には個性豊かな文化人が多く訪れ、今も同様だという。
「私たちは大衆喫茶でありたいと思っています。漫画本も多いし、パスタはもちろん、ラーメンからカツ丼に至るメニューもあり、お話をされたい方には聞きたい私がいます(笑)」

小樽へ
 真由美氏は散策が好きだという。小樽に来て今に至るまで終始一貫して「風格」を、この街に感じてきた。「初めて来たのに懐かしい」「人口が減って寂しいけど、なぜかそれが似合っちゃう」「猫のいる路地裏が好き」「寂れた小路にも生活の気配が」「塩谷の民家の通りには文学が」「ペンペン草の伸び伸びとした様子には微笑んでしまう」「小樽駅ほど雪が似合う建物はない」「駅前に行くときは都通りと静屋通りの間にある小路を歩くの」
 こんな素敵な鑑賞者を持つ小樽は、それだけで幸せだ。「そのまんまでいいんだよ」という心はどこからくるのだろう。母とも神とも仏ともつかぬ刹那肯定は、限られた詩人にしかない。断片アート、断言の余韻にはせっぱ詰まった神経を揺さぶる賭けが臭うが、このまんまでいいことに対する優しい眼差しは希有だ。なぜならそこに日常通りのコミュニケーションが顔を覗かすように気取りがない。見られている小樽の景色が照れ笑いするほどだ。

故郷
 中原中也の帰郷という詩に「心おきなく泣かれよと 年増の低い声もする 嗚呼 おまえはなにをしてきたのだと 吹き来る風がわたしに云ふ」という一節がある。
 多分、失恋かなにかで若い女性が飲んで悲しみを聞いてもらっていたのだろうか。うまくは慰められない不器用そうな女将がいる。愚痴って泣くという人の持つ本性、泣けというのもまた本性。都市の専売特許の諸処の仮面、あるいは見栄の中で、自らもボロボロになって帰郷した若者の見たふるさと。泣きやむまで待つのではなく、共に泣く。
 いつまでも小樽にいてほしい人だ。