小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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分野(36) 様々な観光

寿司
株式会社 日本橋
常務取締役 中井 健太郎氏

〒047-0032
小樽市稲穂1丁目1番4号
TEL 0134-33-3773 FAX 0134-23-2667
info@otarusushi.com
http://www.otarusushi.com

創  業  昭和51年11月21日
従業員数  40名
代表取締役 中井 優子


常務取締役 中井健太郎氏
常務取締役 中井健太郎氏


沿革
 昭和51年中井 蔚氏が優子夫人と花銀に日本橋を開店。平成元年に現在地に移転し、「小樽寿司屋通り」づくりに奔走。平成11年には堺町に福鮨を開店。平成21年に創業者蔚氏が若くして亡くなられ、優子氏を代表として、本店店長・早田和広氏とご長男・健太郎氏が支えている。

中井健太郎
 日本橋創業の翌年、昭和52年生まれの健太郎氏は、東京の拓殖大学経済学部へ進学し、休み期間にアルバイトがてら家業を手伝う。結果的にこの経験が元で2年半で大学を中退。健太郎氏帰郷の平成10年は小樽観光の拡大期にあり、翌平成11年はマイカル効果により空前の970万人の観光入込数を記録。こういった背景から平成初期にデビューした「小樽寿司屋通り」にも多くの観光客が足を運んでいた。若い健太郎氏はこの活気に目を見張り胸が高鳴った。そしてなによりも、裏方で皿洗いをしていながらも、このなだれ込むような勢いを迎え撃つ「つけ場」(板前の握るカウンター内)の活気に男としての興奮を禁じ得なかった。お客様を迎える意気の良い声、若いモンを叱る迫力、板前同士の会話なき以心伝心、お客様の笑い声や驚きの表情、このフィールドにいた健太郎氏は「俺も生きている!」そう感じ、「俺もこう生きていきたい!」と決意させたという。

親父の背中
 健太郎氏は親父の背中を見て人生の進路を決めたが、それから10年後の平成21年にその父がご逝去。既に30を過ぎ所帯を持っていた健太郎氏も板前の一人としてつけ場に立ってお客様と対応していた。職人と経営者を目指すという二面性は、人の倍働くという過酷な命題を自らに課してきた。修行中に習ったトイレ掃除も気がつけば今もなお自ら行い、先輩への尊敬を飾らない言葉で伝え、そして自分の意見も堂々と言えるまでになっていた。
 このような渦中の緊張感は父の死への悲しみを相殺してくれた。
「仕事のことを忘れて父を思えばいつでも簡単に泣けますね。でもそんな姿、父も自分も望んでいませんよね」そう淡々と語る。

展望
「毎年6月に開催する寿司屋通り五店会主催の魚供養祭が地元にも定着してきました。実はこの時期が僕たちの腕の見せ所なんです。各店4つの握りを5店回って3,150円という企画ですが、この4つの握りに日頃のアイディアを如何に創作するかが問われます。お客様の多くは地元の方ですので、贔屓の店のない方々も多くおられ、あのとき出してくれたあれをというファンにもなってくれます」
「僕は料理を研究する方が性にあっているようで、あまり原価を考えずに手間をかけてしまい、逆に先輩から叱られることもよくあるんです。どちらが経営者かわかりませんよね」
 照れながらこう語る健太郎氏は実に素朴だ。人と話をするとき、言葉で機転を利かすのではなく、話す人の心の在処を探る方を優先するから、答えにハズレがない。だから話す側に警戒心が消える。警戒心が消えると人のトークサーフィンは波に乗り、乗りつつお客自ら乗り方を発見する。知っていることを話しているのに、新たな発見をさせてくれたフィールドに感謝する。だから板前が語るよりお客が語る方がはるかに大事だという極意を知っているのかもしれない。
 素朴さには底知れない空虚感がある。この空虚感が相手に自由を感じさせる。相手が自由自在に飛び回れる器を磨けば、小樽の食文化・職人文化、そして寿司文化は開花する。