小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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文化素材(6) 

小樽の和式文化・洋式文化


和文化の希薄性
 小樽で日本古来の和式文化を探すのは困難だ。そもそも江戸時代、正式に日本の領土ではなかった北海道を、1854(安政元)年 日露和親条約によって北海道が日本領土であることを対外的(特にロシアに)に周知させ、開拓と移民によって領土化してきた。そして明治2年に設置された開拓使の目的の内容は近代化であったから、当然まちづくりの指針は近代化即ち洋式化が最大のテーマだった。だから極端にも「脱亜入欧」と福沢諭吉がスローガンを掲げたように、「和」は念頭になかったし、むしろ「脱亜」には「脱和」も含まれていたといってもいいだろう。
 だから移民してきた我々の先祖は、ひきずる程度でしか出身地から「和文化」を持ち込んでこなかった。

小樽の和文化
 現在小樽には15の神社祭があるが、これらは全て和文化だ。しかも出身地が違う融合も合わせて、よくぞたゆまず継承されてきた。また春の観桜会や秋の観楓会も和文化としかいいようがなく、これもまた充分継承されている。
 経済面でいえば「大福帳」などが暫く使われ、「印」や「暖簾」などは今日も数多く残っている。建築面でいえば神社仏閣は勿論だが、海陽亭や公会堂に能舞台、番屋や邸宅は小樽の建築文化としてあえて継承されている領域だ。芸能面では「小樽伝統文化の会」が日舞・華道・茶道などの日本の伝統文化の他に、畳や着物、そして作法なども含めて和の文化を尊重し継承しようとつとめている。これは形ばかりでなく作法にまで対象を広げていることが特徴で、実に頼もしい(17号参照)。さらに堺町の有志によって着物着用を促進するイベントも開催されている。
 そして最も顕著に継承されているのが食文化だ。おでんや煮染めやおにぎり、味噌汁にケンチン汁、茶碗蒸しに和え物、ご飯に餅など決して洋式には負けない毅然とした和文化といえる。

洋式文化
 一方、洋式文化はもっと幅広い。明治5年石造埠頭、明治13年敷設の鉄道、明治16年の日和山灯台、明治11年を皮切りに設置された金融機関、明治20年代に北前船主建設の木骨石造倉庫、明治17年活版印刷開始、明治22年競馬会、明治23年葡萄酒製造、同年波止場竣工、明治25年硝子工場設置、27年電燈舎設立、同年写真館開業、同28年大勝号完成など、小樽でのトップニュースの多くは洋式文化の誕生といえる。
 洋服に靴や鞄、帽子に時計、椅子に机、楽器も自動車もそうだ。さらにカタカナ言葉も氾濫している。和文化を見つけ出すのが一苦労な状況である。
 これだけ多くの洋文化が入っていながら、ドイツ人の材木商カール・コフという人が住んでいたということで「外人坂」と俗にいうあたり、余程外国人が奇妙に映ったようだ。

小樽文化
 和であろうと洋であろうと、使いこなして小樽文化に昇華できるのが理想だ。この変革は既に料理の世界に顕著にうかがえる。どんな国の料理でも、日本人の味覚に合うような工夫がされて多様に息づいているのは、料理人の努力の賜だ。
 小樽でも近代建築の多さは、再活用という小樽モデルによって、既に小樽文化の領域だ。寿司もまた小樽文化といってもいい。何故なら水産資源の多様性は世界一なのだから、一品ではなく多様性つまりバリエーションの豊かさそのものが揃ったものが寿司だからだ。
 硝子もオルゴールも新たな小樽特有の価値で語れるならこれらも小樽文化である。
<『小樽歴史年表』>

旧丸越川又商店
旧丸越川又商店

旧遠藤又兵衛邸
旧遠藤又兵衛邸

小樽市公会堂
小樽市公会堂