小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(33) 小樽こだわりのライフスタイル

北海道と本州がミックス〜ひとひねり〜
田鍋 里奈 氏
北海道新聞社小樽支社報道部記者
〒047-0032 小樽市稲穂2-8-4
TEL 0134-22-6171 FAX0134-33-0726



帰化経緯
 田鍋氏は小樽の観光元年といわれる昭和61(1986)年に有珠郡壮瞥に生まれ、関西学院大学法学部政治学科で国際問題を学び、2009年4月に北海道新聞社に入社する。
 大学2年の時、女性新聞記者の講演を聴講。愛媛丸がハワイ沖で米軍の船に衝突し、研修生であった高校生が亡くなった事故を取材した内容であったが、事故回避や事故始末に向けた国際社会のありようを訴える取材に感動を覚える。これが田鍋氏のジャーナリズムへ興味を持つ動機となった。

記者という仕事
 入社後約10ヶ月は社内勤務で、2010年3月に最初の赴任先として小樽へ。担当は警察とスポーツ。警察では事件や事故を担当し、スポーツでは特に北照高校野球部の甲子園出場で、2010年夏、2012年春の二度、甲子園まで取材に行った。高校球児の爽やかさやスタンドで応援する関係者の熱い声援に感動し、その記事が掲載された。ネタの内容は別として大きな取材対象があったことは田鍋氏の記者活動を充実させたという。
 記事には記者名が署名されるので、情報内容のチェックや書き方には緊張の連続ともいう。
 正確な情報は発信する側をしっかり観察・洞察することが必要で、本誌取材で相手の話にじっくり耳を澄ます態度が印象的である。

赴任時代
「小樽は私がイメージする北海道でも本州でもなく、北海道と本州がミックスされて独自の小樽を形成しているように見ています」とジャーナリストの視点を語る。
 事実、小樽は明治初期には和人としての現地人など皆無に近く、本州各地からの移民で攪拌されてきた。出身地の文化を遠慮がちにひきずり、北海道の条件に合わせて、それぞれの民族が交流して成立してきた。
「新しいものをうまく取り入れることが得意な人ばかりではないように感じます。たとえば、今、若い女性やカップルを中心に人気のキャンドルですが、「誕生日と仏壇でしか飾らないので、需要はあまりないのでは」という話をされた方がいました。しかし今、市内のキャンドル販売店にはたくさんの人が来ています。潮流を柔軟に取り入れると、集客のチャンスが広がると思います。既存のものを活用しながら、流行も敏感に察知できたらより良い方向にいくのではないかと思います」
 誠に遠慮がちにこう話すが、取材側からいうと、固化したかのような既存の価値観は、後年形成されたものだ。後年というのは、小樽をつくった人々ではなく、つくられた小樽を継承した人々の時代のをいう。
 つくる時代には価値観の固化は禁物だった。何故なら多民族の坩堝で、テーマは北海道の風土と近代化以外なく、人と物が右から左、左から右へ動く時代であり、そういう使命を背負ったまちだった。そしてその使命をこなすには多民族や新しい価値観の交流が背景にあった。だからこそ既存の価値観は邪魔でしかない。無論、倫理と道義は別としてである。
 小樽はこんな攪拌装置であったから、田鍋氏がいう「北海道と本州のミックスで独自の小樽」という美が映える。

小樽への提案
「小樽にはおもしろい素材がたくさんあると思います。歴史、文化、自然…。問題はそれらの素材の活用と、それらに携わる人の連携の仕方なのではないでしょうか。今あるものにひとひねりを加えると、対外的なPR効果が増すように思います」
 巷間よくいわれる「小樽人のPR下手」である。商業のまちとして栄えた小樽であったが、その多くは卸売業である。そしてその使命は近代化と北海道での生活、したがってその価値は道内共通で確保しようとしていたから、特段PRは不要だったのかもしれない。
 今日は新たな商品を開発してその価値を表現するには、実に多様化しており、そんな土壌に上書きするほどの表現力がなければならない時代だ。田鍋氏が指摘するように「おもしろさ」は商品開発の原石であり、これを生む能力はどうやら小樽には人一倍あるが、その後の問題はいつも置き去りにされてきたのかもしれない。
「ひとひねり」議論の湧出が期待される。