小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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意匠(27)

常夜灯


各地の常夜灯
各地の常夜灯

モニュメント
 入船のメルヘン交差点の一角に「常夜灯」と銘打った石造りのモニュメントが設置されている。
 平成8年にメルヘン交差点協議会からの提言により、市有地の現在地に道路改良工事の一部に組み込んで小樽市が設置した。
「常夜灯(小樽海関所灯台)海関所は、明治4年(1871年)信香町に灯台を設置しました。入船川河口にいかりを下ろす多くの船舶の目印となりました。新天地に未来をかけた人たちは、その光源を親しみを込めて常夜灯と呼びました。(後略)平成9年12月」<銘板より>

灯台
 現在の灯台のように船乗りに灯りで陸の地形を知らせる機能は、日本にも古くからあった。これを和式灯台という。明治以前は北前船のような小型船が沿岸に沿って航行していたことから、陸の位置を知らせるだけでよく、したがって光達度の低い灯籠程度でも充分だった。沿岸付近の神社の石灯籠ごときでも任を果たしていた。ここから和式灯台を常夜灯と名付けていた。
 1863(文久3)年に下関事件が発生、長州藩が攘夷実行で下関海峡通過の外国船を不意打ち。これに対して英仏米蘭4ヵ国連合艦隊が下関砲台を攻撃。結果的に幕府が300万ドルの賠償金支払いを承諾。この調印において300万ドルのうち100万ドルを現金、残りで15の洋式灯台設置を義務づけられた。これが洋式灯台の初設置。洋式というのは、蒸気船の航海が対象であり、北前船と異なり沖合を航行するので、光達度の高い灯りをいう。しかしこの時代はまだ洋燈しかなく、洋式はゆらがない様な炎に鏡を応用した光達度の高い光源を持っていた。

小樽の灯台
 小樽の和式灯台の最初は明治4年(『小樽歴史年表』では明治6年)で明治7年5月には焼失している。一方洋式灯台の最初は明治16年10月16日日和山灯台で、道内では2番目に早い。