小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

普遍性
編集人 石井 伸和


演歌とHIPHOP
 演歌は日本人の心に響くといわれる。それはそれでいい。一方HIPHOPがアメリカのブロンクスを発祥として世界中の若者に共鳴し、ビートやサウンドはもとよりダンス・アート・ファッションに至る総合的な文化として普遍化している。演歌は日本で生まれたが世界中に普遍化しただろうか。アメリカ国籍のジェロが日本で演歌歌手になった事例はあるが、日本で受けているに過ぎない。
 思えばロックもブルースもR&Bもジャズも世界中に浸透し普遍化した。
 それら普遍化した音楽の誕生は異文化同士の交流から生み出された。そこに差別や反骨も含まれるが、社会的契機は交流だ。演歌は日本の中で民謡〜小唄・長唄・都々逸から派生したいわば日本の純粋培養で開花した傾向が強い。
 音楽も人格同様、交流から発生すれば普遍化し遠心力となり、遺伝から発生すれば帰結化し求心力となる。

若者と普遍性
 普遍性は若者の環境にとって欠かすことのできない体験であり味わいだろう。単に流行といってもいい。
 流行は玉石混淆だが、その時代時代故の貴重な普遍体験になる。その体験で若者の各個人がどう味わったのかが大事だ。味わったばかりか自分のものにすれば、石が磨かれて玉にもなろう。
 ところが多くの流行に付加して犯罪も発生したりする。一部のマスコミは、犯罪の原因がその流行だと問題をすり替える。
 そもそも犯罪とは人間が原因だろう。オマケに愚かな大人は一事が万事とか李下に冠を正さずとか、最もらしいコジツケで、流行を抑止しようとする。
 社会とはそういう装置か、大人とはそういう生き物かと疑いたくなる。

若者の潜在性
 「僕はあの時流行したことを僕なりに体験したことがキッカケで今こうして喜びを感じていられる」という若者は幸せだ。少なくともその体験に予想だにしていなかった自分の潜在を顕在させる経験を持つからだ。
 だからといって大人に潜在を顕在化させるまで面倒見れとはいわない。機会を奪うなということだ。同じ人間として犯罪への抑止で充分じゃないか。
 顕在化の糸口を見つけた若者は、もう独り立ちする。大事なものを得たからだ。主体的に学ぼうともするし、自分にとって大事であるように、アイツにもそれがあると思えるし、大事なものを共有する関係が築かれる。

小樽と交流
 明治2年から昭和元年までの60年間に北海道には227万人の移民が押し寄せた。
 出身は様々でその多くは船で小樽港に上陸した。だから小樽は過去も立場も出身地にもこだわらない交流の拠点でもあった。生きるために真摯な交流があった。解放と交流こそが小樽の原点じゃなかったか。
 それがいつしか大樹に寄り、長いものに巻かれる依存者で保守化した。依存の分際で既存を益し温存に浴しているだけだ。存することの装飾で延命を図る現代史が気にくわない。
 もうそろそろ、存すべき若者が誕生してもいい。