小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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まちづくり運動から学ぶ(19)

格さん戦略
石井 伸和


第2回ポートフェスティバル実行委員長 小川原格氏 家族と共に 後右:佐々木興次郎氏、後左:志佐公道氏
第2回ポートフェスティバル実行委員長 小川原格氏 家族と共に 後右:佐々木興次郎氏、後左:志佐公道氏

30代の小川原格氏
30代の小川原格氏

艀借用交渉
 運河保存運動の一環であるポートフェスティバルにも圧力がかけられるのに時間は要しなかった。第1回目で借用した艀や石像倉庫が、「業務で使うので貸せない」と断られるのだ。格さんは的を変えて別の港湾荷役会社に交渉に出向いた。もちろんここでも断られる。ポートにとって艀会場は運河の活用を最もアピールできる会場である。この企画を放棄すればその効果は半減ですまない。だからなんとしても必要だった。格さんはほぼ毎日のように朝方に艀を所有する郵船海陸運輸の専務に会いに行った。しかし「何度来てもノーはノーだ」と断られる。
 今度は夜うち朝がけの奇襲戦法に変え、専務がよく利用するスナックに通い、懇願することにした。これもほぼ毎日通い、既にママとも顔見知りとなり、何度か専務にも会えたが、それでも答えはノーだった。
 しかしこの何度かの出会いの中で、専務は「その頼みは俺にしても駄目だろう。艀は会社の所有なんだ。どうしてもというなら、会社が断れない理由を持ってこい」と謎めいたことを言われたことを想い出し、「それってどういうことなんだろう」と何度もママに聞いたという。
 実行委員長としての面子、シナリオライターとしての意地、侠気の限界、格さんの混乱は続いた。
「待てよ、自分の立場で考えるからラチがあかないのだ。自分が会社側に立てばいい。会社は社会奉仕や地域貢献ということが存在意義だ。そうだ!これだ!」とひらめき、すぐさまベベ(岡部)に電話をした。
「オイ、ベベ!施設の子供達をポートに招こう。すぐ手配してくれ!」
 つまり施設の子供達をポートに招き、勿論事故が起きないよう警備体制を厚くし、祭りを堪能してもらおうという社会奉仕を描いた。
 それであれば業界や市から艀の貸手に文句はでないということである。
 そしてまた朝一番に会社に出向き叱られながらも、「是非これを読んでください」と企画書を手渡した。
 それを読んだ専務は、ニヤッと笑い、「よし!これならいいだろう」とやっと了解を取り付けた。
しかも会社の方で艀に防護柵をわざわざ設置してくれたという。
そしてこの場面もまた、会社側がポートに手を貸したのではなく、施設の子供達に手を貸してくれたのだという立場を貫くことをスタッフに言い聞かせるのだ。

最後の砦
 格さんが難儀した最後の砦が小川原 昇氏、父その人である。仲間には「親父は政、息子は祭り事でお袋はカンカン」と語っていたが、父昇氏は保守本流の根幹にいる人である。その層がやってほしくない出来事を仕掛け、しかも実行委員長などということは、誰が考えてもお叱りをこうむる沙汰である。
 しかも店の座敷を占拠するかのように、タダ酒、タダ茶、タダ暖房を使うとは何をかいわんやである。
 ただ何度かその集まりの議論を聞いていた節もあったようで、「あれはどういうことか、それはなぜか」という質問を息子にはしていたという。だから充分聞く耳も持ち、息子のやろうとしていることを理解しようとしてくれた。
「親父、何をいってるんだ。ポートのアイツラはみんなこの街の出世株なんだ。いわば先行投資だろ。まして俺達は街の古いものを守って再生させようとしてるんだ。親父がつくったこの籔半もかつてはニシン親方の別邸でそれを蕎麦屋にしている、再活用から付加価値をつけたように、俺達も運河や倉庫群や歴史的建造物を再生させるまちづくりをしようとしてるんだ。まさに親父がやってきたことを見習っているも同然じゃないか」
 そんな息子のイイブンを苦笑いしながら頷いてしまう昇氏はいかにも好々爺にも見えるし、その先の苦労の度合いも分かっている仙人にも見えるが、本人(故人)に聞いてみるしかない。

格さんの確信
 格さんはポート路線という市民運動は「いつか爆発する」という確信を持っていたという。学生時代に運動のダイナミズムを自らの仕掛けで体験し、それを超える新たな運動として認識していたからだ。
 ふつう経済界といわれる層に運動の意味が通じない場合が多い。なぜなら現時点の断面図での費用対効果や需要と供給がその尺度であるからだ。しかも小樽は、末端消費者と対面する小売業ではなく、商業の中でも卸業で大発展した。だから小売業の機微を消費者に浸透させるプロセスを実感するのにはうとい。このプロセスこそが運動であろう。そしてこの大衆運動をゼロから組織していくという遠大な計画性を確信していたのは、格さんを含めホンの数人だったと言ってもよかった。

小川原 格 考
 この格さんの全方位にわたる周到さは誰もかなわないし、無論このような気の遠くなるような苦労があったなどとは、35年過ぎて、私がここで初めて聞いたことで誰も知らない。
 若者は社会の分子で新たな価値観を掲げるが、社会の分母にそれを吸収する器や寛大さがないと分子である若者は疎外され、結局その社会に新たな歴史は刻まれない。格さんのような分母に周到に切り込む作業がなければ、社会全体に新しさが馴染んでいかない。
 かりに新しさを地域が吸収できず、分子だけが全国に浸透して、分子が分母を上回るほどの普及性を持つこともある。幕末の藩がそうだった。廃藩置県などあまたある藩主からすれば寝耳に水だったし、その背景に四民平等があることさえ、士農工商意識からは簡単に切り替えられなかったに違いない。
 また逆に分子がいくら目立っても、分母が既に変革の方向にあって、その段階と食い違うと、歴史的変革にはならない。たとえば、戦術に長け振る舞いも優雅といわれた源義経、巨魁といわれ武士のありようを示した西郷隆盛、一国二制度という画期的な国家像を描いて蝦夷共和国を樹立しようとした榎本武揚などという若い分子は時のスターではあったが、結局、日本史上分母に影響すら与えていない。
 考えてみれば、今の小樽がそんな混沌にいる。第二第三の格さんを小樽は生んでこなかったからだ。
 格さんは時代の変化を多角的に見て、地域に相応しい変革のありようを企画し、分母への浸透を図ろうとする。まさに旧から新、昔から今へのプロデューサーだ。この時代を超越したような能力の起源は、格さんの場合は思想的思考が受信アンテナになっている。その思想を通して地域の分母構造をうかがうと、思想が構造に反映されている一致を見いだす。「石井なぁ、こういう構造の街のなかでだ、それなりに芽を出そうとするにはああいった形でアピールするのが自然だろ」と、格さんから私が通約を受けた論法がそれを物語っている。次に人間の心理を周到に組み合わせ、そこに運動の地道な作業が蓄積され、継続は力となって分母が分子に比例して変わっていくことを展望する。「あのなぁ、日々の地道な作業は繰り返しているように見えるかもしれないけど、その普通が変革への説得に一番効くんだわな」といい、変革のための普通の重要さを教えてくれた。
 こうして社会の既存の分母のあちこちに窓口となるべく突破口をこじあけ、そこを通じて新たな息吹を吹き込み、踊る分子、つまり若者達が評価される構造改革を格さんは遂行していった。
<写真提供:小川原 格 氏>