小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(37) 小樽こだわりのライフスタイル

文化をビジネスに
王 晶 氏


帰化経緯
 王晶氏は1979(昭和54)年中国武漢で貿易会社員の父と医者の母の間の一人っ子として生まれる。広州にある広東外国語外貿大学の日本語を専攻。他には英語・スペイン語・ロシア語・フランス語・タイ語・ベトナム語などがあったが、武漢の家のテレビに日本のドラマが流れ、少女らしくSMAPのキムタクなどに憧れ、「日本はカッコイイという印象が強くあった」という。
 4年後に卒業され、2001年7月に上海の貿易会社に勤務するが、日本への憧憬を押さえきれずにいた。丁度その頃、広東外国語外貿大学から大学院の応募があり受験して合格。社会人1年を経ずに大学へ戻り、日本への留学を果たした。まさしく「滴水穿石」雨だれ石を穿つである。この大学は札幌大学の留学交流があることから、2年間の札幌生活が始まる。2年後一時帰郷するが、是非北海道で働きたいという強い意識で、再び北海道へ。そして縁があって小樽の北一硝子に入社。当時は唯一の中国人スタッフだった。住まいは花園にアパートを借りた。

小樽へのビジター印象
 札幌時代には何度か小樽にも訪れたが、当時の印象は「堺町を見てこんな童話のような街があるなんて」と驚いたという。この小樽への興味とそのムードメーカーであった北一硝子の接点は、彼女にとってまさに運命的な出来事だった。
 この北一硝子のスタッフとして働いた2年8ヶ月の間に彼女はまたしても運命的な出会いをし結婚する。函館出身で札幌で出会い、小樽で鍼灸の治療院を開設しようとする日本人男性である。
 日本に憧れ、まるで絵に描いたような青春時代のドラマだ。

現在
 彼女は27歳で結婚を機に北一硝子を退社し、フリーで観光ガイドの仕事をする一方、通訳案内士と総合旅行管理者の日本資格を取得する。日本で生きようとする真摯さとこの努力は、今の日本にあるだろうかとさえ思えてくる。29歳の時には出産により1年間休むが、その後札幌のイベント会社にパートで雇われ、「中国人富裕層の調査」などを経験し、来道する中国人の分析能力を身につける。
 現在は小樽観光協会の臨時職員という立場で勤務されている。

小樽への思い
「小樽は文化とビジネスが繋がっていないですよね」と実に大胆で本質的な発言をされる。
 エネルギー問題は世界共通の大問題であるが、東日本大震災における福島原発はいまだに安全宣言できない危険な状態にある。したがって世界中で自然エネルギー利用の技術開発への期待が大きくなっている。太陽光や風力などの自然エネルギーであれば資源が枯渇することはない。いわば無尽蔵ともいえよう。文化も同様にビジネスに変換できれば、文化は減ることなく期待が寄せられ、さらに磨きがかけられる。これからは自然エネルギーならば、同じくこれからは文化ビジネスだといってもいいだろう。こんな世界的に先進的な認識を33歳の中国人女性が小樽に抱いていることに驚いた。
「文化を歴史と置き換えてもいいですが、PR不足だし、活気がないし、若者も少ないですね」これも全くの事実だ。「小樽の若者には発言する元気も少ないし、発言を受け止めてくれる場がない」ともいう。
 今、小樽は彼女のような人材を活かせるかどうかの狭間にいる。