小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

小樽のヒューマンスケール性
編集人 石井 伸和


※写真 40号inspiration2ハマダタケシ撮影
※写真 40号inspiration2ハマダタケシ撮影

様々な論理における人間価値
1.都市の論理
(1)雑踏
 東京のように高層建築が建ち並ぶ街並みにおいて、街並みと人間を比べると人間は雑踏でしかない。たとえばビルの屋上から地上を見下ろしたり、高層階の窓から見る景色において、その印象は顕著だ。これらの高層建築を誰が何故どのように建てたかは、資本の論理、政治の論理などが集約された都市の論理に帰結する。
(2)マニュアル
 東京の地下鉄網は実に緻密に張り巡らされており、目的地へ行くには地下鉄の乗り換えで近似値(地)に到達できる。そのためには駅の誘導案内板は欠かせない。つまり人間は地上で東西南北を推しはからずとも案内板というマニュアルで目的地へ行くことができる。自然や土地勘を排除した人工街の論理もまた都市の論理である。
(3)人間不信
 さらに、人工街であることから、全ての取引へのリスクヘッジがしっかりしていて、「そこまで細かく決めるか」と驚くほど、リスクをかぶらないで済む保身術が実にしたたかである。田舎の口約束の感覚ではあっというまに借金地獄だろう。これもまた人工街で生き抜く大事な都市の論理だ。
 このように都市は、人が集まるから資本が動き、人が集まるから政治足り得、人が集まるから交通網が整備される。これらを総称して都市の論理とするなら、その論理では、人間の価値が実に低く見積もられていることに気付く。逆にいえば、倫理観と責任感にあふれ、信じるに足る人間観が不要に近く、随分人間も安く見積もられたものである。

小樽の中途半端性
 このような都市論理渦巻く東京と比べれば小樽は田舎でしかない。が、北海道では歴史的に名の知れた都市の先頭を走ってきた。小樽の近代史では、電話回線・都市ガス網・水道網などのライフラインや、鉄道・港湾・道路などのインフラ整備は、全国的にも早期に整備されてきた。出も入りも北海道の玄関口であったから人的交流都市でもあった。しかし現代史では政治・経済において小樽は大きく遅れた。この遅れが「中途半端な都市」の印象の原因になっている。

中途半端の逆説
 この中途半端性は結果的に、高層ビルがなく、海方向山方向を感じて移動でき、人の信頼が政治や経済にも根を張っているところに立ち止まらせている。もっといえば都市の論理に巻き込まれていない。
 この写真を見ていただきたい。小樽駅から第三埠頭に着岸している大型客船をよく見かけるが、これは都市の論理でいう高層ビルに似て怪物のようなインパクトを持つ。ところが通りを横断する人は雑踏ではなくその表情もうかがい知ることができる。これは小樽の都市規模がいかにヒューマンスケールであり、またヒューマンスケールを逸脱しない都市のギリギリの黄金比とさえ思えてくる。
 さらに、この35年間にまちづくり団体が72以上も誕生してきたことは、政治団体や経済団体とは異なり志団体であることからして、人心もまたヒューマンスケールを謳歌していると見えないか。

終の住処
 人は死ぬとき金や物や人間を道連れにすることはできない。マズローは欲求五段階の最終は自己実現といい、菅子では衣食足りて求められるのが礼節というように、形而上的つまり「思い」であることから、古今東西死ぬ間際に道連れにできるのは「思い」一つだ。
 その思いに共通する法則などはないとしても、個々人の自分らしい生き様やライフスタイルを考えたとき、人間の集合によって拡大しなければ生命が維持できない都市の論理から逸脱して、小樽観光がこの逆説をバネにしたように、移住を考える諸氏がヒューマンスケールの黄金比で維持されている小樽を終の住処と選んでくれればと願う。