港町・都市・農村
編集人 石井 伸和
自動車や飛行機が発達していない時代を前提とし、若者が旅をする以下仮設である。
港町
若者は旅に出る。港町は開かれた交流の空間である。「来る者拒まず去る者追わず」はそんな潔い港町の風情。港町は物流拠点だから物資の動きが激しい。だからナイーブなことは言ってられず、無神経な陽気さが人々の花となる。このアケスケな交流が創造の起源となり、ありとあらゆる物事がクリエイトされる。クリエイトされるが拡大はしない。若者は拡大しようと都市へ向かう。
都市
クリエイトされた物事が拡大する舞台は都市。都市には人心掌握や心理動向を弁えたプロデューサーが待ちかまえている。拡大しようとする目的には「より多くの人々に幸を」と願うが、拡大過程で拡大を支える組織が生まれ、同時に組織も拡大する。ところが今度は「組織の存続」を目的としたスイッチが入る。なぜなら組織を構成する自分たちの保身という欲がでるから。組織存続のためには多少の犠牲も正当化されやすい。ここから公害・隠蔽・捏造、そして戦争までが発生する。人が組織をつくるが、組織に人がつくられるという逆転現象。あまつさえ、組織に依存していれば不自由しない層が大勢をしめていく。犠牲を正当化するのはこういう層である。組織に寄生するから組織につくられることをヨシとする。このヨシに支えられる組織は怪獣化し、亡霊や呪縛に不安の大部分が占められていく。これに頭を抱える若者は「より多くの人々に幸を」という元来の目的を忘れる現実に「こんなはずではない」と決意し、農村を目指す。
農村
都市で厭世観にかられて農村に逃げ込むと、そこではよそ者のレッテルを貼られ、なかなかとけ込めない。まあ人間不信から逃げ込んだのだからそれでもいいと若者は開き直り、細々とものづくりに勤しむ日々を送る。そこにある日、都市で増殖した怪獣が開発の名のもとシャベルで農村を切り裂きに来る。抵抗しようと農民をアジるが、抵抗力のない農民達は、目の前に積まれた保証金に妥協して村を出て行く。怪獣の懐柔に晦渋極まりなさを若者は覚える。
投影
思えば港町も都市も農村も人がつくってきた。ということは人の心の中にも、港町・都市・農村のそれぞれの特徴があるということかもしれない。若者は港町の交流の活気に喜んだが拡大できないことに港町を見限り都市へ向かった。都市では拡大に興奮したが人のありように疑問を覚えて農村へ逃げた。農村では百歩譲ってよそ者で相手にされなくてもものづくりに勤しんだが、都市怪獣が侵攻してきた。交流志向も拡大志向も自然との共生志向も全て若者の心にある。つまり人々の心の投影である。人間社会は人間社会以上にはなれない。なろうとして宗教や教育や倫理があるが、欲もまた捨て切れない。
もうそろそろ
人は港町にも都市にも農村にも馴染めるがそこにだけは留まらない。人は怪獣をつくることも神をつくることもできるが、怪獣にも神にもなりきれない。また欲を捨てきれないが欲を手なずけようともする。この曖昧な業の歴史がいつまで続くのか。もうそろそろ、戦争も環境破壊もできない世界共通の約束をして、どんな文化と文明を創造していくかを安心して楽しめないものか。