小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

残存する幸から
編集人 石井 伸和


水天宮の鳥居から本殿の間
水天宮の鳥居から本殿の間

政治と宗教
 一国の政治体制や宗教によって、その国の過去の文化を破壊する現象は歴史上実に多い。アフガニスタンがイスラム教だからといって仏教遺跡の多くを破壊し、毛沢東が儒教文化を全て否定したようにだ。日本でも明治新政府が神仏分離令を発し、その意図が横道に逸れ、廃仏毀釈に発展し、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止が急速に実施された。ただし明治4年には終息し、壊滅状態には至らなかったことが救いだ。
 政治であろうと経済であろうと宗教であろうと、文化に口出しする権限などあってはたまらない。なにびとも人が思うこと信じることを妨害する権限などない。

日本の幸福
 日本には出雲・奈良・京都・鎌倉など、大和・飛鳥・奈良・平安・鎌倉時代に都になった都市にも、過去の文化が破壊されずに数多く残されている。今日でもその地域へ行くと名残以上の遺跡をうかがうことができるのは、日本人の幸福といえる。

多神教
 キリスト教・ユダヤ教・イスラム教などのように一神教の国々では他宗教を認めない風習が強いが、日本は神社で祭りを行い、教会で結婚式を挙げ、寺院で葬式をあげることから、「イイカゲンな国民性」「アイマイな国民性」などとも揶揄されるが、どっこい、なにびとも人が思うこと信じることを妨害することを恥としているからだ。この寛大さはむしろ誇りとしていい。

小樽の幸福
 小樽にも明治・大正・昭和の歴史的建造物が数多く残されているばかりか再利用され、現在に息づいている。この現在に息づかせていることを誇りとしていい。また水天宮の鳥居から本殿の間に天理教小樽分教会、日蓮宗東山本妙寺、小樽聖公会が鎮座している。このアナーキーさこそに人間の尊厳さえ覚える。

多様性
 そもそも自然は多様性が基本であるように、文化もまた多様でありたい。年代ごとの文化、民族ごとの文化、国ごとの文化など多様に存在するから交換価値や観光価値が発生する。政治も経済もこれをわきまえるべきなのに、人間の勝手な妄想で秩序、いや差別をして排除や破壊を繰り返している。
 たまたま日本には聖徳太子が誕生し「和を以て尊しと為す」と唱えたことが、多様性思想を根付かせた起源といわれている。だから神道の国に仏教が移植されても神仏習合が実現してきた。併存するもの同士が習い合ってきたということだ。

民際
 そこまではいい。神と仏に限らず、考え方の異なるものが同じ土壌で暮らすとき、同床異夢から摩擦が生じるのは必然だ。火種を消す勇気を前提とする「和を以て尊しと為す」なのに、それを誤解して、その摩擦から逃げたり避けたりすることもよくある。日本人は特にそういう傾向が強い。摩擦を生じないための議論もせず、智恵も磨かずに、つまりその努力に力を注ぐことより、同じ考え方同士で組織をつくってしまう。個人と個人なら「話せばわかる」道はいくらでも開けるのに、組織と組織なら「メンツ」が正当性を帯び、「国益のため」「国民を守るため」と民を扇動するから手に負えない。
 現世の最大組織は国家であるが、ならば「環境維持」と「世界平和」を守る超最大組織をこしらえ、それと同時に、国家も民族も関係なく、摩擦を生じないための議論をし、智恵を磨く「民際」思想を増殖させられないものか。個人が地球と直結すれば話は簡単なのに。