一般国道5号(1)
◆はじめに
地域のインフラは地域になくてはならないものだ。しかし私たちはそれを造るのも管理をするのもオカミと思っている。これまでは先進国の文明に追いつくためにそれでよくても、これからもオカミに丸投げでいいのだろうか。地域にインフラがなければ近代化を土台にした私たちの産業も生活も不可能だ。とすれば地域のインフラを造ろうとする意思や選択も、大事に使い管理をするのも、地域に住む市民が考えなくていいはずがない。
本シリーズは小樽の数々のインフラを取り上げ考察することによって、地域発の新たなインフラシステムを模索するものである。
「一般」というからには「特別」がありそうだが、「一般国道」とは高速道路と区別するための呼称であり、番号が付く全国全ての国道は、正式には一般国道と呼ぶ。俗には「国道5号線」という呼称で通じるが、正式には一般国道5号である。
北海道、沖縄県以外の全国の一般国道の管理は、国土交通省地方整備局又は都府県、政令市が行うが、沖縄県は内閣府沖縄総合事務局と沖縄県が、北海道は国土交通省北海道開発局が管理している。
国道番号
現在、一般国道は番号を路線名として使用しており、国道1号から国道507号までが指定されている。ただし、歴史的経緯により欠番(59~100、109~111、214~216)があるため、実在するのは459路線である。
国道5号の路線区間
国道5号は、函館市から札幌市中央区を結んでいる。北海道内の国道の中で1番数字が小さい番号であり、北海道内唯一の一桁国道である。全国の一桁国道の中では最も距離が短い。なお、このルートが函館市-長万部町-蘭越町-ニセコ町-倶知安町-余市町-小樽市-札幌市間の最短経路ではなく、途中、長万部から札幌市まで国道230号を利用するルートが最短となる。
国道5号の歴史
1857(安政4)年 銭函-星置間の「札幌越新道」松浦武四郎・飯田豊之助らにより測量。小樽場所請負人恵比寿屋半兵衛により開削
1871(明治4)年 北海道開拓使により銭函-札幌間馬車道開削着手 6年完成
1878(明治11)年 小樽-札幌間をクロフォードが調査、翌年12月に開通
1920(大正9)年 国道編入
1930(昭和5)年 現在のルートによる設計、昭和9年1月に小樽-銭函間改良工事竣工
1952(昭和27)年 一級一般国5号に改称
1953(昭和28)年 札幌-小樽間改良及び補修工事着手、55年舗装工事完了
1958(昭和33)年 小樽-塩谷間改良・舗装
1959(昭和34)年 塩谷-蘭島間改良・舗装 塩谷トンネル、・桃内トンネル、・忍路トンネル着工
1965(昭和40)年 一級及び・二級国道の区分けが廃止され一般国道5号に改称
1966(昭和41)年 日本道路公団により札樽バイパス工事着工
1985(昭和60)年 長橋バイパス着工
2001(平成13)年 国道5号札樽間全線4車線化
<『後志の国道』>
昭和27年の国道
「国道は砂利道であったため、晴天には塵汚が飛散し、降雨時や融雪時には泥濘状になって、毎年の砂利補修費に巨額の費用を要して尚且つ十分その能力を発揮しえなかったし、小樽市中へ入るや潮見台、住吉神社宮の主要道路が狭隘な上、勾配も甚だしく、事故を起こす恐れも多いため、速急の改良と全面舗装要望する声が強かった。」
<『小樽市史』>
小樽-銭函間、待望の道路が完成
大正期の札樽国道は、馬車道としては狭く、鉄道の線路に多数の踏切を設けても列車から退避する場所が確保できず事故が毎年起きたことから、昭和6年に始まった工事は9年に完成。この年には札幌苗穂-小樽手宮間に北海道初の鉄道省営バスが誕生した。