小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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まちづくり運動から学ぶ(26)

社会
石井 伸和



 子供の頃から母親は私に極めて「男らしくあれ」という教育をし、その延長で、あるいは余計なリアクションで、京都の大学時代にたまたま雀荘での麻雀の打ち方に感心されて、ヤクザの親分に可愛がられて准組員如きになり、代打ちをしたり、みかじめを集金したりしていた。そして今では考えられないことだが、「男を磨く」様々な話を聞かせていただいた。
「ええか、石井、勝負に勝つことだけが勝ちやない。どこで勝つかを見極めなあかん。相手がホンマモンの男やったらそこ見とるんで」「世の中にはどうしようもならん奴もヨケイおんねん。そんな奴、野にさらしとったら何をしでかすかわからんやろ。警察かてよう面倒見んのや。そんな極道モンに道徳やの倫理やの説いてもわからへん。せやから俺らがおんねん。極道モンはテメェより強いモンには服従するんや。なぜなら俺らの世界は命がけの勝負だからや。腕力でも道具でも男でも銭でも勝てるようにならんと、極道モンの面倒は見られへん。男を磨くってのは王道やが、磨く道を覇道で守らにゃならんのや」
 ヤクザ同士で喧嘩をし、ヤクザがカタギを騙し始める以前の話である。実にわかりやすく説いてくれた。いわばヤクザとは学校からはみだした極道モンの教育機関で教えるカリキュラムは男を磨くことだという。しかし、平成3年に制定された暴対法によって、取り締まりが強化され、みかじめ料などの様々なシノギも禁止された。ヤクザにも警察にも言い分がある。「様々な資金ルートに法がささり込んできたから男を磨くカリキュラムが希薄になり、もっと残酷で不埒な事件が増えている」というヤクザに対し、「理想の男磨きなど建前で、恐喝、詐欺、売春、高利貸しはもとよりエセ同和行為、エセ環境運動など仮面をかぶったカタギへの迷惑は笑止千万」と警察はいうように、この議論は奥が深い。私の個人的信条としては、「水清ければ魚棲まず」「清濁併せのむ」に加勢するから、学生時代にお世話になった親分の生き方は尊敬に値する。

右と左
 私は社会人になってから、山さん、恒治さん、格さんらの学生運動経験者から多くを教えられる境遇を得た。
 だから私は右の教育と左の教育にはさまれたような格好、まさに右往左往、右顧左眄。しかし闇雲な私の頭の思考回路の中で、学生時代に狂信的に愛した坂本龍馬が、右と左を結びつける唯一さやかな存在となっていた。
 そもそも右だの左だのという観念論は単なる亡霊だと思っている。亡霊に悩む理由など全くない。世の中どうあるべきで、なら我はどうするかという判断の中で、百歩譲って右寄りや左寄りと表されても構わない。
 この時期、私にとってのリアリティは迫り来る運河埋め立てへの対案。拠って立つべきは小樽の個性。これ以上中央や上位計画のいいなりになってしまうことは個性を消失する。個性を磨き、それを文化や経済の核にすることだった。つまり中央集権の瓦解を見切り、新たな地方が自立する社会を目指すために、小樽の潜在的個性を抽出して磨きをかけることに最大のリアリティを確信していた。

投稿
 昭和54年の秋、当時発刊されていた全道版の雑誌から、ポートフェスティバル実行委員会の宣伝部長であった私は取材を受けたが、ばばこういち氏のときの悔しさを味わうことを恐れ、頂いたいくつかの質問をメモして「言いたいことを投稿します」とし、「老害と若気の至り~果たし状~」と題し、下駄履きに腰に日本手ぬぐいをぶら下げたイラストを描き、以下のような過激な内容を書いた。
 ~小樽は変な街だ。年寄りが歴史を壊せといい、若者が歴史を守れという。歴史を壊せという言い分は、いまもなお未練がましく高度経済成長に乗ろうとする意図があり、歴史を守れという言い分は、新しい潮流を小樽から発信しようという意図がある。
  こういう時代錯誤のはなはだしい年寄りどもが存在することを老害という。辞書で調べたら老害はあっても若害がない。若害の代わりに若気の至りを見つけた。老害には断じてあってはならない絶対悪の意味があり、若気の至りには寛容的で必要悪の意味がある。
  さらに老醜という言葉はあるが老美という言葉がない。代わりに隠居という言葉を見つけた。
  つまり社会も言語学会も、若者には若気の至り、老人には隠居という逃げ道を用意してくれている。
  この老害・老醜きわまる年寄りどもが、マットウな議論もせず強行採決という不条理極まりない方法で、俺達若者に喧嘩をふっかけてきた。上等だ。受けて立とう。いい大人がそんな幼稚な方法の決済しかできない理由も知っている。窮鼠猫を噛むともいうが、本来堂々としていればいい君たちは、いつから鼠になり果てたんだ。見苦しいにもほどがある。
  黙って譲れとはいわぬが、過去に頂戴した甘い汁の味がそんなに愛おしいか。流行を創るのも追うのも若者だし、オマケに歴史を創るのも若者だ。でも若者には流行を見極めるカンってもんがあるし、過去の流行から新たな流行に切り替える潔さもある。もう既に違う風が吹いているのに、見失った風を追い求めているのが君たちだ。俺達は俺達のやり方で喧嘩しよう。~
 この記事を見て飲み屋で川合会頭や志村市長が「ケシカラン」と怒っていたという裏話を、飲み屋の女将がしてくれた。これがすえおかの女将・末岡 睦氏であった。もちろんこのとき私は女将を知らない。ベベ(岡部唯彦)からそう伝えられた。

社会の実感
 そんなベベの報告を聞いた。驚いた。恐怖でも後悔でもない。「おもしれぇー」だった。
 たかが22歳のチンピラのメッセージを、街のトップ二人が「ケシカラン」と目くじらを立てる。「小樽はなんておもしろいんだ」素直にそう感じた。すぐに川合会頭宛に「運河保存再生建白書」なる長い長い意見書を書いて送った。もちろんノーリアクション。それでもよかった。
 社会が一定の構造を長い時間維持すればするほど、トップの権威は濃くなる。したがってトップが下々と相対するなどという現象は皆無に等しい。なのに小樽は気にした。社会とはなんと身近なものかを実感した。
 これが規模の大きな札幌や東京なら歯牙にもかけられまい。逆に小さな田舎なら明らかに村八分だろう。だが小樽は揺れながらプレッシャーすら起きなかった。いや揺れたフリだったとしてもいい。あるいはこの情報が女将の教育的捏造だったとしてもいい。そんな作り話をするほど、社会が、街が反応するとは思わなかった。歴史を創れると感じた。
 不埒な例えだが「街とセックス」した気になった。司馬遼太郎の『龍馬がゆく』中に、京の街で初めて男女の交わりを体験したとき、怖い存在と思っていた人々にも子がいることを思い、「誰もがこんな男として情けない格好をしているんだ」と悟り、以後誰も怖くなくなったというエピソードが書かれている。寝て一畳座って半畳の中から世界へのバイパスを感じた瞬間だ。空海もまた男女の交わりは神との遭遇だとする感覚を持ったといわれる。そういう意味で「街と私の間に神が光臨した」とさえ感じた。右脳と左脳をそれぞれ持つ人間が神に祈るとき、左右の手を合わせ、己を一つにして神に対峙する。装飾も雑念もなく、神の前では市長も会頭も私も平等なのだと思った。
 この体験の感動が今日もなおブレずに、性懲りもなくまちづくりに関わっている大きな動機になっている。
 現在の若者達はこれとは違う境遇にいる。デジタルツールを身につけ、その分逃げ道も身につけている。デジタル世界で社会にリンクする可能性が生まれたが、逃げ道も増え、生身の社会にリンクする確率は極めて少なくなっている。一方で、ニートという存在まで生まれている。古今東西、歴史を創ることを拒否する若者を生んだことは前代未聞だし、事件でもある。
 そういう意味では、この当時の小樽にはアナログ世界の最大利点である世代間交流の素地がまだまだ残っていた。