小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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アーティスト(2) 21世紀絶滅危惧種

写真家
志佐 公道 氏 Masamichi Shisa



1978年小樽市観光ポスター 写真家としてのデビュー写真
1978年小樽市観光ポスター 写真家としてのデビュー写真
選択
 1954(昭和29)年7月20日小樽生まれの志佐氏は、桜小学校、桜町中学校、潮陵高等学校定時制を卒業し、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)に進学するが、高校時代にはアルバイトで貯めたお金をほとんどカメラや現像機材の購入、被写体を求めての交通費にあてるほど「撮影」の世界にのめりこんでいく。これは父親が土木現業所勤務の写真技師であったことの遺伝子だという。いわば父はアナログ時代の写真技術が完成期を迎えた時の技術者で、工事写真や施行写真の撮影のほか現像や焼き付けなどの細部に亘る写真技術保持者ということになる。だから公道氏が父をみて、その道に進むことには大きなキッカケは必要なく自然な選択だった。
 高校時代にはSLや風景写真など北海道では一般的な被写体を追い、潮まつりの写真コンテストで準優勝もされている。

2013年街並み「こんな時季には-1」
2013年街並み「こんな時季には-1」
覚醒
 本格的に写真の世界に覚醒するのは2年間の大学時代である。視点のありよう、ファインダーにおさめるバランス、明暗、照度、現像などの技術を学ぶ中で、公道氏独自のアート感覚が磨かれていく。正確な記録写真をおさめる父との分かれ道であった。父が写真技師であるなら公道氏は写真をアートの世界に独自の感性で誘因する道をみつけたことになる。
 さらに大学時代の教授は「一般教養などは後からついてくる。大事な瞬間を逃さない現場の写真撮影に没頭しろ」という徹底した現場重視の教育をされた。この教育がのちに現場の機微を逃さない公道氏の瞬間撮影に開花していく。

2013年街並み「こんな時季には-2」
2013年街並み「こんな時季には-2」
小樽での写真
 小樽の古写真では多くの写真家が輩出されている。むしろ当時より今日、「小樽なつかし写真帖」でうかがえるように彼らは高く評価されている。しかし小樽史上、現代史をとらえた写真家は皆無に近い。東京在住の岡田明彦氏(19号トピックス参照)が帰樽のたびに撮りためた作品は貴重であるが、岡田氏以外みたことがない。現代史とは特に戦後から昭和の時代をいうが、実に希薄だ。
 そういう意味では公道氏の写真は昭和50年代から今日に至るまで小樽で多くの被写体をとらえてきた。今日では20代~40代の若い写真家も誕生しているが、公道氏は現代史上、小樽の写真家の草分けであり、誰もが公道氏の写真を見て影響を受けてきた。

アナログからデジタル
 写真もアナログからデジタルの激変期を迎えた。この変化は写真世界において現場の瞬間をとらえる技術や感性より、コンピューターでの修正加工技術に頼る傾向を持つ。色調・明暗・濃淡・あるいは合成や移植まで可能な技術がコンピューターにはあるからだ。
 公道氏もデジタルに移行して既に10年間でカメラを4台入れ替え、コンピューター技術も学んできたが、リテラシーが追いつかないほど技術の進化が早いと嘆じる。しかしクライアントは進化した結果を知っているから、そのプロセスを認識されない矛盾も生じている。この技術環境や認識矛盾の時代にありながら、公道氏は撮影現場での機微や感性の必要性を重視する「21世紀絶滅危惧種かもね」と苦笑する。

展望
 公道氏は小樽の街並みも人物もとらえてきたが、現在は小樽の自然の奥深さに魅了されている。自称「船上カメラマン」と称し、ヨットやボート、大型クルーザーや客船などを被写体に海を舞台にその世界を広げている。
 公道氏はまちづくり運動の旗手でもあり、この視点から「小樽写真美術館のようなものをつくるのが僕のライフワーク」という。特に欠けている昭和20年以後の現代期の空白を埋めるために、各家庭に眠る貴重な写真を掘り起こしたいという。

小樽港マリーナ常設展示
小樽港マリーナ常設展示
■常設展案内
 小樽港マリーナ
※個展案内
 6月1日~30日
 オーセントホテルギャラリーにて「海」をテーマにした志佐公道個展開催

<写真提供:志佐 公道 氏>