HIP HOP
編集人 石井 伸和
共通項
ヒップホップは歌(ラップ)、踊り(ブレイクダンス)、スプレー画(グラフィティ)、あるいはファッションをも生み出したアメリカのブロンクスで誕生した総合文化だ。
一方フォークもまた歌・哲学・ファッションを生んできた。いずれの音楽ジャンルにもメッセージが込められているが、メロディ(曲)よりメッセージ(詞)に重点が置かれるのが共通している。
単調なメロディに堰を切ったように吐き出される詞には、考えさせられる内容が多い。
和製フォーク
1960年代の日本で、最も人口層の厚い団塊の世代が若者としてこのフォークに飛びついた。アメリカで一世を風靡し「フォークの貴公子」と呼ばれたボブ・ディランらの影響を受けて、岡林信康、西岡恭三、加川 良、高田 渡、浅川マキ、吉田拓郎らが和製フォークを創出させた。
特に反戦はもとより体制への批判が強く込められ社会運動への十分な契機となっていった。若者には未来執行権という権利がある。つまり20年後30年後の社会を責任を持って取り仕切るにおいて、「こんな社会に誰がした」とならないために、若いうちから若者が目指すべき社会の下地を構築する権利だ。歴史は若者が創ってこそ健康な社会である。だからフォークには叫びのような歌が多い。
和製ヒップホップ
ヒップホップもまた反骨のメッセージ性が強く、ファッションもまた挑発的だ。日本ではまだメジャーではないが、間違いなく多くの若者をとりこにしつつある。そしてフォーク同様に叫びのメッセージが多い。フォークにもヒップホップにも共通する若者の感受性は鬱屈である。
アメリカへの追随に押し潰されそうな勢いからフォークは生まれ、全てのモラルハザードから崩れていく勢いからヒップホップは生まれた。
相違
ところが矢の向けようが異なるのだ。フォーク層はアメリカの言いなりになる政治に矢が向けられ学生運動が盛り上がったが、ヒップホップ層は矢を向ける先が定まっていない。この矛先のなさもまた鬱屈に加えられるという不幸に見舞われている。しからばなにゆえの鬱屈か。全て自らつくらなければならない時代より、がんじがらめの身分制度の時代より、自由と便利が保障された時代なのに、崩れていく音が聞こえるように、押し潰されるかのように。
若者に告ぐ
銭にならなくても、注目を浴びなくても、君たちの心から好きになれるものをみつけてほしい。それに打ち込む中で道を切り開いてほしい。現代は過去のどの時代よりも選択肢だけは広がっている。生身でふれあう行動がないだけじゃないのか。どれにしようかと迷っている暇があったら、どれかに触れて行動して失敗して成功させるために悩めばいい。興味が好きになり道になり自身になり誇りになる体験を積んでほしい。
いいか、戦争も紛争も抗争もなくなることはない。自堕落な者も浅ましい者も威張る者も騙す者もいなくなることはない。不幸も不正も不条理もなくなりはしない。なくならないからといって、諦めたり、ひきこもったりすれば、その弱さを食い物にされるのがオチだ。食い物にされないためにもピュアな心を持ち続けてほしい。戦いながら生きるしかなく、そんな連帯を広げるしかない。