版画家
嶋田 観 氏 Kan Shimada
履歴
昭和30年1月余市町にて嶋田氏は生まれる。写真に強い興味を抱き大阪芸術大学写真学科で4年学び帰郷、当時市立小樽文学館に嘱託(昭和53―平成11)で勤務されていた木内洋二氏と知り合うことが人生の一大転機となる。木内氏は詩人ではあったが、美術への造詣が深く、嶋田氏が版画に目覚める宿命的な出会いとなる。版画への目覚めと同時に住居を小樽へ移したのが昭和54年である。
昭和55年、仲間4人と小樽青年版画協会を結成し、産業会館で版画展を開催した時、金子誠治氏(本誌5~43号表紙参照)が訪れ、「休眠状態の小樽版画協会を君たち若い人たちで復活してくれないか」と依頼され、このときから開始された小樽版画協会は10年継続されると同時に、嶋田氏は金子氏から多くの教えを受けられた。また、金子氏の家族からも心のこもった支援をいただいたという。
また嶋田氏の潜在的な表現方法に決定的な影響を与える出会いは一原有徳氏であった。一原氏は「君の作品にはポップアートのようなアッケラカンとしたところがある」と表された。「構えない自由な遊び心という意味では」と嶋田氏はいう。
このように小樽を代表する2大版画家に師事され、小樽になくてはならない、あるいは小樽だからこその版画家嶋田観が誕生する。
墨壺
嶋田氏の独自の技法には様々なものがあるが、画期的なのは大工が木材に直線を引く墨壺を使うことである。「スナップ・オン・ザ・ペーパー」という。「画面全体に密に線を引くことで線の美しさはそれ自体を越えて、いつしか墨一色の画面に移行、最後は膨大な時間だけが表出する」と実に詩的に表現される。
評価
平成11年、ニュージーランドのオタゴポリテック美術学校に版画指導で6ヶ月出向され展覧会などを開催していた時、美術評論家カサンドラ・フスコ氏の目にとまり、絶大な評価を受ける。「題材や画題を描写するというよりはむしろ、シマダ氏の作品は自然の持つ特有のリズムを伝える材料や、版面、構造への精神的な興味を表している」とフスコ氏は表現している。
ライフワーク
「廃材をアートに使うという発想は一原さんに教えていただきましたが、そこから僕自身がこの街でライフワークにしようと思っていることがあるのです。たとえば小樽の歴史的建造物がなくなるのは残念に思いますが、どうしても取り壊しの運命にあるなら、その建物の廃材である木材・トタン・石などを一通りいただいて、それらの絵肌を表現する作品を制作してみたいと考えています。」
小樽だからこそ降臨されたアーティストの所以である。