小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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まちづくり運動から学ぶ(28)

政治への心構え
石井 伸和


<写真提供:志佐 公道 氏>
<写真提供:志佐 公道 氏>

源義経観
 兄・頼朝の指示により、弟・義経は暗殺された。戦術・武術に抜きんでた才を持ち、源氏勢力に大きく貢献してきた義経をである。なぜか。義経が新たに創ろうとする歴史的大局的な「空気を読めなかった」からだ。歴史的空気とは、律令社会から武家社会への大局的変革である。いくら汗して働いても土地を公家から借用して重い税をむしりとられる社会から、農民が汗して耕した土地を農民が所有する社会への変革だ。この制度を以て新たな武家社会を展望していた頼朝は、その対局にある公家におだてられ、公家寄りの関係を示す既成事実を積み重ね、それに感謝さえする義経に危機感を抱いた。義経は大局を読めなかった。戦術には長けても戦略を知らないスタンドプレイヤーに過ぎなかった。ここから「判官贔屓」という日本特有の俗諺が生まれる。源九郎判官義経の判官をいい、つまり「義経がかわいそうだ」という見た目の同情をいう。頼朝が目指した大局は、少数の公家に支配される多くの農民に幸せを解放することだったが、「判官贔屓」はこういう大局眼を義経同様に抱くことができない狭い国民性の現れともいえる。義経はファッションやマナーや身振りも都風で美しかったかもしれないが、ファンが多いことと時代の変革には何の関係もない。
 運河保存運動の過程で政治色が強まる中、こんな歴史を見つめる機会を持った。
 だから前述の過激な喧嘩口上の投稿も女将の報告も、箕輪氏との対談も私の中に封印した。もちろん無感動を装った。ところが皮肉なもので、このような無表情が後年、20代の若者に陰謀めいた印象を与えていくことを、本人である私は知るよしもなかった。

座右の銘
 人生の価値観を左右する大きな感動に直面すると、モヤモヤしていたものが一気に晴れ、己の羅針盤を手に入れた気になる。前述の「社会が揺れたかに思えた」体験は、私にとって社会をリアルにしかも身近に感じた。それが契機となり「温故知新」「脚下照顧」という二つの座右の銘は、己に相応しい指針だと認識した。
「温故知新」は、歴史を学び歴史を守るが、単なる歴史オタクに完結するつもりはなく、あくまでも新しいものをクリエイトするための王道。
「脚下照顧」は、自分の足で感じた信念を信じること、自分の中に真実が無ければ社会に真実などクリエイトできない。
 いずれにもクリエイト(創造)という私的視点が組み込まれているように、新しいものをつくっていく生き方をしよう。しかし新しいものを社会につくるということは、過去の甘い汁を愛おしむ既得権益という壁が立ちはだかる。既得権益を固持する人々をも切り崩すにはより大局的なそして多角的な変革意識を持たねばならない。格さん(小川原 格)が口癖でいう普遍性だ。だから歴史を学ぼう。そう感じた。
 この考え方はのちに、「粗にして野なれど卑にあらず」というもう一つの座右の銘を付加することによって自信を深めた。大局的な変革は粗で野であるところに見えてくる。荒削りで野性的な視点という意味だ。卑とは卑怯な私欲をいうが、公の幸のための変革であるべきだと意気込んだ。
 こういう人物像を己に課し、無論心地よく染みこんだ。まちづくりにも仕事にも人間関係にもそれは波及していった。ただし欠点も存分にある。マナーやエチケットを弁えず、不遜や生意気にも映る。しかしあれから三十数年過ぎた今日も「これでいい」と思い、それでは誤解されると言われても「それがなんだ」と思い返すあたりを見ると、変える気もない。

全国町並みゼミ
 全国町並みゼミは、住民発の全国組織である全国町並み保存連名が主催し、文化庁とも連携したイベントである。これまで、昭和53年第1回有松・足助、昭和54年第2回近江八幡に引き続き、昭和55年5月24~26日に小樽で開催された。ちなみに27日には函館で開催されている。
 小樽では、小樽運河を守る会、小樽夢の街づくり実行委員会が共催として受け皿の準備をした。会場は医師会館や公会堂で、24日「記念講演」「小樽報告会」、25日「各地からの報告」「交歓討論会」、26日「総括討論会」で構成された。
「小樽報告会」では石塚雅明が「水と緑と歴史の町づくり」と題して、これまでの運河保存運動の経緯を報告した。「各地からの報告」では、妻籠、今井寺内町、有松、富田林寺内町、琴平町、川越市、祇園新橋地区、大平宿、会津喜多方、旧松本高校跡、大湫、柳井津、吹屋などから報告された。
 私も準備の手伝いや当日は夢街の一員として参加したが、医師会館のホールが立ち見がでるほど満員だったことを覚えている。そして驚いたことに、全国にも我々と同じような問題を抱えて運動を展開している人々がいることを知った。井の中の蛙から脱する絶好の機会だった。そして妻籠のタイムスリップしたような町並みに感動し、いつか機会があれば行ってみたいという、私個人にとって妻籠はまさにまちづくりの聖地に位置づけられた。
 そして、全国町並みゼミ小樽開催は小樽運河を守る会の峯山冨美氏の遠心力が広がる土壌にもなっていく。

●以下、峯山氏の全国町並みゼミにおける報告履歴
 ・第2回 近江八幡大会
   「かえがえのない歴史的環境-小樽運河・倉庫群を守る」
 ・第4回 こんぴら大会
   「心は埋め立てられない」 
 ・第5回 東京大会
   「行政と住民の対話」
 ・第6回 臼杵大会
   「「かくれ保存派」の行方」 
 ・第7回 大平大会
   「隠れ保存派が現れて五者会議は開かれたが」
   「「小樽を守る」運河保存-倉庫の再利用も大成功」
 <『環境文化』>

第2回小樽運河研究講座 昭和55年2月28日~4月19日
「歴史的な町並みの再生とまちづくり」と「魅力あるまちづくりと交通」を二大テーマとし、ともに理論編・実践編の角度から学んだ。
 この講座で妻籠の事例は、小樽運河保存運動にかかわる諸氏にとって憧憬となり、特に私自身にとって「まちづくりの聖地」という印象をより確かなものにした。妻籠にできた住民憲章の三原則「売らない」「貸さない」「壊さない」の大胆さに驚いた。そして常に保存運動の中で「いつか訪れてみたい」という念が育まれていった。

・第1回 2月28日
「魅力あるまちづくりと交通理論編」
 講師:岡  並木(交通問題研究家)    
・第2回 3月1日
「歴史的な町並みの再生とまちづくり 実践編~妻籠の例をつうじて」
講師:石川 忠臣(全国町並み保存連盟理事)
   岡田 昭司(妻籠を愛する会事務局長)
・第3回 3月8日 
「歴史的なまちなみの再生とまちづくり理論編」
 講師:木原啓吉(環境問題研究家)     
・第4回 3月12日 
「魅力あるまちづくりと交通 実践編~旭川買物公園の例をつうじて」
 講師:五十嵐広三(元旭川市長)
   小河原辰也(旭川買物公園企画委員)   
・第5回 3月18日
「小樽の町づくりを考える~小樽復興の経済学」
講師:石原 定和(小樽商大助教授・証券市場論)
   樋口  透(同・機械化会計学)     
    野沢 敏治(同・経済学説史)      
    篠崎 恒夫(同・経営学)        
・第6回 3月26日
「小樽の町づくりを考える2~水辺の活用、小樽のマリンスポーツセンター構想」
  講師:箕輪 正治(小樽漕艇協会会長)、船木 幹也(北海道外洋帆走協会)    
・第7回 4月2日
「小樽の町づくりを考える3~緑づくりの歴史、明治小樽林業史」
 講師:渡辺  惇(北海道営林局)       
・第8回 4月5日
「文学における風土」
講師:高野斗志美(旭川大学教授・文芸評論家) 
・第9回 4月14日
「小樽の町づくりを考える4~小樽運河公園構想批判」
講師:重村  力(神戸大学講師・環境計画)  
    塩崎 義光(同・交通計画)       
・第10回 4月19日
「第二回小樽運河研究講座総括討論会」