小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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意匠(39)

看板



看板の歴史
 日本での看板に関する歴史的資料は近世に入って「暖簾」が最も古いとされている。この事例はフランスの看板の起源である「旗」同様、布であることがおもしろい。
 江戸時代の1682年以降、「看板は木地に墨書、金具は銅製に限る」という禁制を幕府は発布している。これは金銀箔・蒔絵・メッキなどを施して華美を競うことへの制限といわれている。
 その背景には戦国の世が治まり商工業が安定すると同時に発展することに比例して看板も隆盛し、その行き過ぎへの警告なのか、あるいは街並みの美化への気づかいか。街並み美化という意識はどちらかというと「内と外」の概念の違いから西洋に多いことから後者とは考えにくい。であるなら江戸時代の倫理観で「行き過ぎ」を武士階級による商人階級への圧力か、あるいは徳川幕府ならではの事情があるのかどちらかと思われる。

小樽の看板
 小樽の看板を観察すると、一般の商店街より観光施設に凝った看板が多いことに気づく。一般の商店街では建物の設計時から既に計画された看板やネオンなどアクリル製が多いが、手づくりで工夫を凝らしたものは少ない。これに対して小樽は街並みを重視した観光地であり、それに相応しい看板も大いに工夫されていることがうかがえる。ここからも西洋的感覚が根付いているようだ。