小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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まちづくり運動から学ぶ(30)

第3回ポート前後
石井 伸和


<写真提供:志佐公道>
<写真提供:志佐公道>

妻籠体験
 昭和55年当時、私自身まちづくりの聖地と憧れていた妻籠・馬籠を訪れる機会を二十数年後得た。まるで生きた化石のように江戸時代の町並みがそこにあった。この景色を維持してきた住民の努力に畏敬の念を抱いた。が、時代のニーズという新たな視点を見落としている感を持った。町並み家並みもすばらしいが、一軒一軒回ってみると、どの店も同じ漆塗りばかりを陳列販売し、甘味も食品も同じメニューしかないから、一度買ったり食べたりすれば十分だった。街並みを形成する建物を「売らない」「貸さない」「壊さない」という三原則に加え「乗り遅れない」が足りないと思った。新たな商品、新たなデザイン、新たなサービスというコンテンツを三原則が足かせとなって発想の新陳代謝が滞留していはいないか、新しい人材が入らないから滞留するのではないか、確かに三原則は町並み家並みを維持する大きな原動力になったが、そこを訪れる多くの観光客の目を引く売り物が横並びでは、売り上げにつながらない、つながらなければ維持もおぼつかなくなる、そう感じた。
 振り返って小樽観光を見れば、建物を売る者も貸す者も壊す者もいる。ある意味アナーキー状態である。が、再利用する人々は「古い革袋に新しい酒」を盛っている。新しい酒でなければ再利用する資格も意味もないし、好きこのんで老朽化した歴史的建造物を再利用する必要もないからだ。
 小樽の再利用には、工房、体験、ショップ、レストラン、ホール、ミュージアムなど多彩なしかも内容には世界的な視野での移植もある。売り上げによる維持しか方法がないから野放しでもニーズの変化により進化せざるをえない。しかしそれでも維持できない者もいてテナントあるいは所有者の交代もよく起こる。
 また妻籠は憲章や条例で守ろうとし、小樽は文化意識として、あるいは経済意識として、いわゆる市民意識が歴史的建造物を守っている。小樽で歴史的建造物を「壊そう」という動きが露見すれば市民運動が騒がしくなり抑止力となる。これは小樽運河保存運動以来積み重ねられた運動の成果だ。運動もなく即戦力として歴史的建造物を守ろうとすれば法的強制力を使うしかない。ところが法的強制力である条例は、強い世論に裏付けられなければ成立しない。現在の小樽で歴史的建造物を守る条例を制定もしくは改正することは、市民の多くの賛同も得やすく、それほど難儀ではない。
 一方妻籠の場合、その所有者が所有者同士で交わした約束を憲章にまで昇華させた。いわゆる住民自治が当事者の延長にあるが、法に保護されて進化が停滞するなら、これほどの難儀もない。
 同じ町並み保存でも、これほど対照的なものもめずらしい。

第3回ポートフェスティバルインオタル
 昭和55年7月18・20日、第3回ポートフェスティバルが開催された。過去2回の体験で「雨」のリスクを「一雨300万円」の赤字という俗諺ができ、赤字回避のための準備をしながら、強行採決などで「もうだめだ」意識を払拭させるために「どっこい運河は生きている」という土俵際のキャッチコピーが掲げられた。出店も150軒が並んだ。艀会場には「ファミリー広場」「お休み広場」「ヤング広場」が連なる。「ファミリー広場」では寄席やファッションショーが演じられ、「ヤング広場」ではフォークやジャズが奏でられた。新たに設けられた「チビッコ広場」では手づくり遊具や懐かしい遊び、そして落書きコーナー、メインステージはロックやブルースが大盛況、「夜の小樽港遊覧」では海からの小樽夜景を多くの人々が堪能した。

第3回ポートフェスティバルインオタル実行委員長 ~岡部唯彦~
 第3回目にもハビタによるシンポジウムが前野商店倉庫にて開催された。ハビタはトレーシングペーパーでランタンを作成し、資金稼ぎとした。ポートの資金稼ぎの定番となっているTシャツやタオルとは異なり、デザインの素晴らしさに実行委員長の岡部は感動したという。実行部隊のポートスタッフとシンクタンクのハビタや石塚らの違いを岡部は強く感じた。彼らのクリエイティブ性をポートの中にも浸透させたいと願った。
 この3回目を機に、「参加者は漏れなくスタッフ」という人材確保手法が固まり、ステージで演奏するアマチュアバンドのメンバーも、設営・警備・後かたづけのローテーションに組み込まれていった。
 また岡部自らが秋川親分に面通しし、プロのテキヤが参加しないことで協力する約束を取り付けた。また志佐らを中心に、大型ゴミの集積する奥沢へ行き、骨董価値のある廃棄物の収集も徹底した。現在のゴミは全て粉砕機能のあるトラックが回収しているが、当時は粉砕されずそのまま奥沢のゴミ捨て場に廃棄されていた。それらを自前のトラックに積み清掃してから骨董品屋に卸したり、実行委員会直営のコーナーでも販売した。
 岡部はこの頃、札幌大学を卒業し、就職活動浪人という立場でイベントに臨んだ。ポート終了後に、札幌ファッションモデルグループ(SFMG)に就職する。またメインステージの日曜日のトリを岡部らのビッグマラーズが飾ることが定式化した。
 実行委員会スタッフの中に女性が少ないこともあり、小樽女子短期大学に出かけ、スタッフ募集の協力依頼をし、その結果7人の女性スタッフが加勢してくれることになった。さらに出店の中にも異色な存在があった。バクダンという昔懐かしい駄菓子を加工器具を持ち込んで人だかりを呈した。苫小牧から参加していた土蔵屋である。ガッチリした体格でヒゲをはやし真っ黒な肌で実演をし、このいかにもの風体はポートの名物とさえなった。これを機に昭和59年には苫小牧にもポートフェスティバルが誕生し、小樽のスタッフも数多くかけつけ応援する兄弟関係になっていく。
 また、ポートのステージを登竜門としてメジャーデビューするバンドも現れた。ナイトホークス、タバスコボイス、もとかりやねたろうらである。

第3回小樽運河研究講座 昭和56年5月16日~6月29日
・第1回 5月16日
「にぎわいの広場の創造~保存と経済の調和をめざして」
講師:浜野 安宏(浜野商品研究所・代表取締役)
・第2回 5月29日
「土地買い上げ運動の展開~知床の環境保護に学ぶ」
 講師:橋 春雄(斜里町助役)        

・第3回 6月2日
「町並み保存事業~事業化の手法をさぐる」
 講師:川端 道志(Kプランナーズ・代表取締役)

・第4回 6月12日
「歴史的建造物の保存・再生~制度的、技術的、経済的な課題をこえて」
講師:広田 基彦(北海道建築設計監理・取締役・技術相談役)
   越野  武(北海道大学助教授)    
   小島 一郎(舞踏家)
   佐々木興次郎(喫茶店叫児楼店主)
・第5回 6月20日
「風景の創造~社会と文化の再建をめざして」
 講師:花崎 皋平(評論家)          
・第6回 6月25日
「地域での試み~小樽を生きる場として」
講師:浅原千代治(ザ・グラススタジオ・イン・オタル)
  佐々木謙二(北海道現代作家)
  佐渡芙二夫(北海道現代作家)
  落 希一郎(シーガルコーポレーション)
  渡辺真一郎(小樽青年版画協会)
・第7回 6月29日
「総括討論会」