世代交代
石井 伸和
世代交代
ポートは何とか運河を保存し再生させたいと願い誕生した。そして間違いなく運動の効果は上がってきた。この効果を発揮するポートという社会的装置は、「何とか運河を保存し再生させたい」と願う者達がこしらえ、社会に認知され発展する過程に辿り着いたが、装置維持には多大な実務が必要になり、社会的効果のほかに装置維持という課題を背負った。もちろん、装置維持のためにポートはあるのではなく、間違いなく社会的効果発揮のためにある。ステージで音楽を発表する者も、出店で趣味を発表する者も、艀でパフォーマンスを発表する者も、倉庫で研究成果を発表する者も、皆が「何とか運河を保存し再生させたい」という一つの願いを共有してきた。
ところが社会的効果発揮の効力が社会に浸透することに比例して、多彩な機能や多様な価値が必要とされてくる。したがって先ずはスタッフの確保が先決となり、音楽や趣味で拡大する手法が用いられ、気がつくと「何とか運河を保存し再生させたい」という願いの外にいるスタッフが大勢を占めてきた。
第4回実行委員長のDAXが問題意識を抱いたように、「何とか運河を保存し再生させたい」という魂入れをしなければならないという危機感は、この時期当を得たリアリティだった。
たとえばコンピューターであれば、一つの目的を達成させるためにソフトをインストールし、使う側が使いやすいように設定(カスタマイズ)する。つまりこのインストールや設定を欠くと機能しない。この場合、インストールとは「何とか運河を保存し再生させたい」という大枠の願いであり、設定とは「運河を保存し再生させるとあなたの音楽や趣味にとって実にいいステージになる」という説得になる。そうなると「俺が最もやりたい音楽にとって運河が必要だ」と身近に感じる。このカスタマイズまで辿り着かなければ、新しい参加者にとって「何とか運河を保存し再生させたい」願いは「仏つくって魂入れず」で、身に付かないスローガンでしかない。
しかし、生まれたばかりのまちづくり運動にそんな余裕などなく、常に変化する社会背景にどう射し込んでいくかに創設スタッフは頭を悩ませるので精一杯だった。だからDAXは憂えた。
企業でも社長はいつも「俺と同じ覚悟のレベルで我が社に責任感を持つ者がいれば」と思っている。なぜなら危機に見舞われても「どうせ俺には責任がない」と逃げ道を用意したり、「俺は俺のセクトを責任持って一生懸命やる」とセクト主義に閉じこもるのが通常だからだ。だからまちづくり運動に限らず、世の組織全体が抱える問題でもある。
結果的にポートには、このようなインストールやカスタマイズという若い参加者一人一人に対して「啓発論議」を徹底して蓄積する人材が欠けていたことが、十数年後に露見する。いずれにせよ、DAXの憂いは核心を捉えていた。
パフォーマンスとメンテナンス
今一度確認したい。社会的効果と装置維持についてである。成果と組織とも換言できる。「小樽自立のために運河を再生させたい」という成果、その実現のために組織された「運河を守る会、ポートフェスティバル実行委員会、夢の街づくり実行委員会」という組織の関係についてである。
PM論なる理論がある。成果達成はパフォーマンスのP、組織維持はメンテナンスのMを指す。信長はPm、秀吉はPM、家康はpMと記号化される。信長は戦に鉄砲を、商いに楽市楽座をと革新的な成果を奇襲的に実行するパフォーマンス性を強調したが、組織維持には疎かったからPが大文字。だから内部に敵をつくり明智光秀の謀反にあった。これに対し家康は覇権で執権を維持することが平和維持と考え、徳川幕府の覇権が維持されるメンテナンスを第一義としたのでMが大文字、パフォーマンス性の欠如は二百数十年後の黒船で瓦解を招いた。秀吉はいずれも重要と考えたのでいずれも大文字。しかし別の次元で長続きしなかった。
つまり経済も政治もPMのバランスが大事であるという。この頃の運河保存運動をこの視点で見ると、埋め立て派が強行採決という奇襲までしなければならないほど、保存派の成果は上がっていた。しかしポート内部は組織拡大と共に創設派と継承派の矛盾を抱える構造になっていた。いわばPm構造だった。そして最も大事なリアリティは時間との闘いであった事実が背景にある。 つまり組織維持より成果浸透が喫緊の課題という背景だ。簡単にいうと、成果浸透こそ喫緊の課題という緊迫状況だ。だから創設派の頭は誰もが成果浸透のみに悩んでいた。ここにDAXは弱点を見いだし前述の議論が起きる。
ところが創設派といえども20代後半から30代の世代である。組織維持という地味でしかも普遍的なことを熟慮するという考えは希薄であることにくわえて組織維持には欠かせない「教育」などできる余裕はない。「学びながら運動」していたからだ。社会を変えようという志と社会を変えるには自ら変わることという覚悟で創設グループが誕生した。闘争期間の長期化が「個人の志の集合」に「拡大する人々への啓発」という余計な課題をつきつけた格好だ。だから「小樽はこのままでいいのか」と疑問に思って共につくりあげてきたポートフェスティバル創設世代と、意識した時には既に存在していたポートフェスティバル継承世代には大きなギャップが生まれていく。このギャップを埋めるには教育しかないが、そんな余裕すら創設世代にはないという矛盾を孕んでいた。
ここに登場する大橋・山川・倉田らの世代はその矛盾を十分感じている中間層ではあったが、結果的には教育プログラムの欠如が後の運河保存運動や小樽のまちづくり運動にも影響を与えていくことになる。
若者の意識
私自身も創設世代の一人である。同じ創設世代の団塊の世代と全く異なる次元ではあったが「まちづくり」の志を掲げ、山さんに日参し、「まだわからんのか!」としつこさを叱られるほど、「これはどう解釈すればいい?」「あれはどういう意味?」「これからどうすればいい?」と無数の質問をすることによって、新たに社会参加しようとする若者として教育を授かってきた。
ところが継承派の若者はこういう動きをとらず、逆に「創設派は俺たちを利用しているのじゃないか」という疑心を持ったり、「俺たちは俺たちで楽しくやろう」と仲良し倶楽部を形成していった。問題の本質は本人(この場合山さんや格さん)に聞けばいいのに、自分たちの殻でしか認知できなくなっていった。
具体的にいうなら、小樽市、小樽市議会、小樽商工会議所、小樽港湾振興協会などで、いまだれがどういう動きをとろうとしており、これに対してポートはあるいは守る会がどう対応するか、さらにはマスコミがジャーナリスティックな視点で我々に何をけしかけているのかという情報は、創設派の中でしか咀嚼されなかった。
たとえば、アメリカのホワイトハウスは立法府の発信と調整機関である。ここはトップシークレットの山だ。補佐官や広報部が党や利益団体や圧力団体に根回しを行う。いわば発信と調整がある種のシステムになっている。政権維持と持続可能な体制がそこにある。だが、まちづくり運動にはそこまでの余裕すらなかった。
山さんいわく「社会のダイナミズム」のおもしろさを継承派に通訳する者がいなかったともいえるし、継承派はそれを拒む若者ともいえた。無論、いずれにも原因はある。