小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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インフラ(11) 地域のためになくてなはらないものたち

小樽港D 大正期の小樽港-2


北浜町運河(後方は北海製罐第3倉庫)<小樽市総合博物館>
北浜町運河(後方は北海製罐第3倉庫)<小樽市総合博物館>

昭和12年頃の堺町岸壁<小樽商科大学ビジネス創造センター> 
昭和12年頃の堺町岸壁<小樽商科大学ビジネス創造センター> 

大正後期〜昭和戦前の小樽港湾年表
大正12年 市営第一期港湾修築工事竣工(小樽運河完成)
昭和2年 市営第二期港湾修築工事(勝納運河・堺町岸壁)に着手
昭和4年 北副防波堤工事着工
昭和6年 市営第臨時港湾修築工事(厩町岸壁)着工
昭和7年 市営第二期港湾修築工事(勝納運河・堺町岸壁)竣工
昭和9年 市営第臨時港湾修築工事(厩町岸壁)竣工
昭和10年 1号埠頭建設着手 高島漁港区に延長63mの防波堤築造
昭和12年 2号埠頭建設着手 北副防波堤204m竣工
昭和15年 1号埠頭完成 3号埠頭建設着手
<『写真集 小樽築港100年のあゆみ』>

小樽運河竣工
 大正3年8月から着工した運河工事は4工区に分けられ、手宮側から着工し、大正12年12月、10年の歳月と190万6千余円で、幅40m、長さ1,324mの小樽運河が完成した。
 この運河の完成で、100t積みの艀40隻が同時に係留できる運河式岸壁となり、港岸はすべて倉庫用地として利用した。<『写真集 小樽築港100年のあゆみ』>

小樽運河の活躍
 この時代、底の深い沖止まりの貨物船に艀が出迎え、荷を積んだ艀が運河に入り、運河沿いの倉庫に収納する荷役だったが、現在では荷の単位がコンテナに普遍化し倉庫不要の平坦地にクレーンでコンテナが積み上げられる荷役に変わっている。運河建設以後約十数年で運河を放置し、小樽は昭和10年1号・昭和12年2号・昭和15年3号埠頭建設に着手するが、今日のような埠頭|コンテナではなく、埠頭|倉庫で維持してきた。平坦地の少ない小樽としての時代への追従がうかがえる。
 1950年代、国際的な荷役はトレーラーをそのまま船倉に乗り入れて積み込む貨物船(RO-RO船)が誕生するが、同年代後期にはコンテナとガントリークレーンが開発され、以後港湾近代化の矛先はこのシステムに移行する。したがって小樽港の物流機能はこの時点で取り残される運命になる。

小樽運河の価値
 小樽運河は埋立式運河である。現運河プラザから海側は海であり、この湾曲する海岸線に沿って沖を埋め立てたため、運河の形態も湾曲していることが美しい。さらに石造倉庫群が海岸線に林立し、埋め立て地に立てられた北海製罐の工場群や石造・煉瓦蔵の倉庫が林立し、これら周辺の建物群が運河と一体となってたたずむ姿が美しいと評価されている。

埠頭
 昭和2年の小樽港の入港船舶は6,064隻、1,162万4千t。港内に入りきれず、防波堤の外に仮泊した船もあったという。これらを効率よく裁くために、昭和2年堺町岸壁、昭和6年厩町岸壁、昭和10年1号埠頭、昭和12年 2号埠頭、昭和15年3号埠頭にそれぞれ着手している。
 しかし、昭和14年に小樽港の貨物取扱量は戦前のピークを記録したが、昭和16年の太平洋戦争突入で、その後は入港船舶ともに急減する。
<『写真集小樽築港100年のあゆみ』>