小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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alwHOMEalw読んでみるalw帰化人(54) 小樽こだわりのライフスタイル

帰化人(54) 小樽こだわりのライフスタイル

小樽世界経済の先端モデル
舛田 佳弘 氏
小樽商科大学
地域研究会学術研究員 経済学博士
〒047-8501 小樽市緑3-5-21
tel 0134-27-5483 fax 0134-27-5483
masuda_1423@res.otaru-uc.ac.jp



経歴
 昭和48年徳島県徳島市に生まれた舛田氏は、平成10年に防衛大学校を卒業する。在学中に中国へ旅行した際に、広大な国土を持つ中国でも地域ごとに発展の度合いや産業が異なることに興味を持ち、同年から平成15年まで中国の四川大学に留学し地域経済を研究。平成16年には北海道大学経済学部の修士課程を経て平成22年博士号取得。平成22年には中国重慶市の日本国総領事館に勤務し、中国内陸部の経済調査を行う。
 平成24年3月には北海道庁経済室に非常勤として従事し、平成25年3月には沖縄県の与那国町に嘱託専門員として国境関係の経済調査、そして同年12月小樽商科大学地域研究会に学術研究員として赴任された。

専門
 中国の四川大学では「地域経済」を研究するが、北大の修士課程では「移行経済」を研究。移行経済とは計画経済から市場経済に移行する変化のありようをいう。
 世界が共産主義圏と自由主義圏に分かれた東西冷戦が第二次世界大戦後(1945年)に構造化したが、1989年のアメリカとソ連の首脳会談であったマルタ会談によって44年間に及ぶ東西冷戦が終結し、以後、共産圏が自由主義経済に移行する動きが加速された。
 この経済的価値観はもとより、経済システムが根本から覆る変化は、現代史における第一級の変革といえる。このような視点で深く研究された舛田氏の小樽観は実に興味深い。

仕事観
「私は昨年12月に小樽に赴任しましたが、実は今年の3月でまた移動になる身です。ましてこのように雪に埋もれた季節ですので、交流より雪かきに追われる毎日を過ごしており、深い小樽を洞察することはできません。私の小樽での任務は地域情報の多言語化、なかんずく中国語ですが、中国人に小樽の情報を翻訳する場合、日本人と中国人ではニュアンスが大きく異なります。日本人なら深く小樽を理解できますが、その深さを中国語に翻訳すると十分とはいえないし、逆に中国人なら中国語で十分伝えられても、小樽を知る度合いは限られてきます。これは多言語化の限界でもあり大事な研究テーマでもありますが、私は制度の違いが歴史形成で培われた民衆の意識に大きく影響すると考えています」
「移行経済を研究していると、どう変化するにせよ、その国の道徳的基盤が重要です。今日の中国のように、野放しで自由化している場合、極論すると金を稼げないと生きる価値すらないと思う若者が増えていきます。あるいは金のためなら親兄弟も裏切るという現象も多発しています。これは由々しき問題ですね。孤独とプレッシャーで押し潰されそうになり、まさに命綱のない綱渡り移行です。これと比較して日本を見れば、確かに町内会という存在は希薄になっていますが、NPOといったコミュニティが増えています。これは恐らく高度経済成長の過程で人と人の絆の大切さを身につけたことによって歴史的に形成されてきたと考えられます。さらには3・11で取り乱さない日本の誇りともいえますよね。つまり変革するにしても、それまで学んで身につけてきたことが変革の度合いを大きく左右するということですね」

小樽観
「そういう意味では、私がいまいる地域研究会での情報交換で得た中で、小樽は一大発展を遂げた歴史と、それに学ぶまちづくり運動が盛んだと認識しています。そして他の地域にはないくらい多くのコミュニティが活躍しています。個人の金儲けも大事ですが、コミュニティ活動によって公的に考える運動があることは、多分、計画経済から市場経済の移行はもとより、新たな経済体制の移行を世界規模で考える上でも先端的モデルといっても過言ではない気がします」